2003/09/28

 ステレオファブリケーションオブユースというバンドのCDを買った。もちろん邦楽だ。僕は邦楽の可能性にかけている。まぁ、そんなことはどうでもい

いとして、曲調はかなり良い、好きだ。興味を持ってくれたならいつでも貸します。

 長い心の旅から脱け出したと思ったら、寂しさに殺されかけている最近で、何ともまぁ不憫な心なのだろう、呆れて笑えてくるなぁ。世界中の人々は

どうやってこの寂しさを紛らわさせているんだろうか、僕の心の感覚だけど、ちっとやそっとの事じゃあ解消しない感じだ。でも、愛されたいとかそんな

類の感情でも無い。寂しさとは何だろうか。まぁ、いいや。それよりレポートやらねば。


2003/09/27

 言うなれば、人生はR.P.G。使い古された言葉かもしれないが、「どんな勇者もレベル1から始まる」。もし、今の自分が本当の自分で無いとするなら

それを探しにいくべきだ。旅路の果て、本当の自分が見つからなくてもいいじゃないか。旅路を共にした仮の自分というやつは、思い描いた本当の

自分よりもレベルアップして物凄く強くなっているはずだ。そして、本当の勇者ほどレベルアップが遅いのはゲームの鉄則。時に自分よりも強い仲間

がパーティに入るのもR.P.Gではよくある話。だから劣等感なんか持つべきじゃない。自分の冒険に専念すれば良い。自分だけの武器を何処で手に

して使おうか、自分だけの呪文をいつ唱えようか。言うなれば、人生はR.P.G。どんな勇者でも命を落としたってすぐ甦る。経験値はそのままで、最後

に立ち寄った町から再スタート。やり直しは不可能。だからこそ、その一度きりのゲームプレイに真剣になれるんだ。

 挫折や絶望と再生を、人生の苦難と喜びをこう例えるなら生きていこうと思えるものだ。こんな話を書いたのは、ただ、自分の好きなゲームの待ち

望んだ続編がそろそろ出るというだけの話。


2003/09/26

 昨日は、ひろしを送る会と称して、ゆき姉さんの4大メガバンクの一角に就職祝いをした。軽く冗談を言ったところで、昨日は本当に愉しかった。姉

さんがたくさん来ると言うのでちょっと構えてしまったけれど、結局はいつものメンバーでした。昨日の日記を見ていただければ分かる通り、勢いでオ

ールでカラオケをした。相変わらず下手な自分にがっくり。そして、今日はレポートの提出日なのだけれど、上記の通りオールして家に帰ってきて死

んだように眠っており、起きたら遅刻寸前の時間でかなりテンパった。その結果がレポートを家に忘れてくるという失態をかまし、軽く絶望したけれど

教官の仲の良い僕は交渉の末提出期限を延ばしてもらった。次は最後の一つ、社会政策のレポートだ。頑張ろう。


2003/09/25

 勢いで、オールしたのでこの日の日記はなし。


2003/09/24

 音楽に限る事ではないのだが、自分に物凄く相性の合うものに出会うと世の中の全てのユウウツに挑戦状を叩きつけられるほど勇気が出る事が

ある。僕にとってそれは音楽と本と仲間であり僕がこの先も躁鬱状態になりながらも生きていけると思うのはその三本柱が揺らぐ事が無いからだろ

う。この人生は詩人の言うように絶望的孤独に包まれている訳ではないし、幾らでも軌道修正の利くものなのだと思う。自分というアイデンティティー

に迷いながら、その迷いが自分という存在を作り上げていく。どこかの私学が自分が見つかるという標語で学生を募集していたけれど、自分は見つ

かるものなのではなくて、既に十分意識できている自分をいかに作り上げたり、作り直したり、育てたりするものなのだと思う。僕の居た高校ではそ

れを知ってか知らずか、最初から個性を伸ばすということが学校の目標だった。ただ、前にも言ったように僕は個性という言葉が余り好きではない。

この世界の中でユニークであるということより、バラエティーに富んだ世界の中のバラエティーのひとつであるということ、そういうイメージのほうが性

に合うのだ。僕は他人の感性と殆ど一緒でも構わない。でも、せっかくこの世界に生まれたのならば、周りとはちょっと違った選択肢を選んだほうが

「明らかに面白い」と思うのだ。その面白さを評価してくれる、評価できる仲間と暮らす毎日はそんなに悪くない。今日もブラウン管の映像と、それか

ら出る音声が僕の心を乱暴に削っていくけれど。


2003/09/23

 寒かったので、体調を崩した。さて、昨日小泉新内閣が発足したそうだけれど、相変わらず政治ゲームで人事を決めていったのだなぁと思ってしま

った。少しは歳を食ったので、政局運営にはそれなりの人事的配慮が必要だということもわかるが、どうしても納得いかないのが竹中平蔵留任であ

る。うちの教官が言うには「単なる小泉のプライド」による留任なのだそうだ。僕も正直そう思う。森→小泉内閣という流れの中で、経済悪化の一途を

たどった事は記憶に新しい(ひとによっては、今までの政治のていたらくのツケが彼等にのしかかっただけだと言う人もいるだろうが、データ的に見

れば小渕内閣の経済政策によって上向きかけていた経済を彼ら再び潰したと読み取れる)。その状況において現在実行されている経済政策の転換

を考えるべきなのはある程度賛同を得られると思う。しかしながら、留任されるというのは、経済政策の効果が現れるのを待つという意味では正しい

けれど、日本経済のビジョンを考えるにあたってリスクは大きい。何故ならば、経済知識人たちは竹中平蔵がそこまで有能ではないことを知ってい

る。さらに経済知識人の多くは経済を動かすトップグループに属している可能性が高い。以上を踏まえるに、竹中平蔵が留任するということは、経済

知識人とそのトップグループの信頼が得られず、産業と官庁の協調が難しくなってしまうのではと浅墓な僕は考えてしまう。劇場型内閣とはよく言うけ

れどその分、配役に気を付けなければ、その劇は不評のまま終わってしまうよ。とそれっぽいことを述べてみた。明らかな偏見も混ざっている事は

承知です。僕の考えが客観性を獲得しているとはどこを見ても言い難い。でも僕は少なからず偏見を持っているという自覚をもってこういう文章を書

いているつもりなので、そこは勘弁していただきたい。まぁ、この世の中には主観的な意見が客観性だと勘違いしている人が大勢いらっしゃいます

が(僕を含めて)。偏見を持っていることを自覚しないと、それはそれで痛い目を見るのです、自分も周りも。おわかりか?小泉さん。


2003/09/22

 「『理』で割っても『情』が残るのが人間だ。」とこのまえ紹介した住職がやっているサイトであったけれど、まさにそのとおりだと思う。しかしながら、

『理』というやつは強力で、『情』の存在を覆うほどの権力を人類が進歩するうちに手に入れてしまった。『理』こそ万能とする人が最近増えているのが

僕の印象だ。恐ろしく単純で潔癖で閉ざされた『理』を持つ人が増えた。自分の中の『理』が万物の『理』であると錯覚してるような人。正直に言えば、

僕もその中の一人なのだろうけど。言い換えれば、『情』を『理』とした人が増えた…いや、『感情』を『理』とする人が増えたといったほうが良いかもし

れない。僕はその事が将来にむけて(今もなんだけれど)、恐ろしい結末を導きそうで恐い。『感情』が『理』であるとするなら、自覚の域を出ないので

他人には気付かれない。『理』であるがゆえ、他者にも応用可能であるという定義が存在するので、本人は『理』が通じないということで不快感を持つ

。本人以外にとって、本人の『理』が達成されることは本人の我儘の域を出ないわけだが、本人には『理』であることから、自らの行動が単なる我儘

であるという認識が生まれない。ここに他者との関係の断絶を僕は見る。自己中心的な世界になりつつあるというのは、本人が自己中心的になるだ

けでなく、他者との関係の断絶との相乗効果によってのものだと感じる。説明になっていないけれど、僕は『理』を唱える人間ほど信用することは出

来ないのだ。


2003/09/21

 「TV's HIGH」のDVDを買ったのだけれど、面白すぎる。すでに2週目に突入。「TV's HIGH」というのは深夜帯にキムタクがやっていたよく分からない

シュール満載お笑い(…というべきか?)番組で、たった5〜15分の放送しかしない番組だ。これを見ていた当時、受験期とあいまってかわからない

が誰にもわかってもらえなかった哀しい記憶が思い出される。で、むーらん・奥さん・なおこの六期生達に「はねるのトびら」DVDを買うという話をして

いたのだが、偶然にも「TV's HIGH」を見つけてしまい、どちらを買うべきか迷う羽目になってしまった。両方買えば良いじゃない!(byよしこ)という事

も十分に考えられるけれど、予算の関係上一枚しか買うことが出来ないのがその時の状況だった(そして今もなのだが)。で、三時間ほど迷った挙

句、他人の判断を仰ぐ事にした。さっきも書いたように、誰も知らないという事態が往々にして考えられるので訊く人間を考えるのにまた30分。で、白

羽の矢を立てたのが奥さん。理由は「なんか知ってそうだから」という投げやりな理由。しかし、その予想は見事的中。奥さんという光に導かれ、今に

いたる。超満足。そのうちDVDを持ち寄って上映会をする予定なので、その際は皆さんこぞってご参加ください。


2003/09/20

 ただ、生きているだけで価値のある人生と言っていいものなのだろうか。確かに命あってのモノダネともいう、けれど僕たちにとって生きる、その根

本的な価値とは何なのだろうか。地位や名誉などを手に入れるためとは、また、生き甲斐と呼ばれるものを求めるためだけとは、考える事が出来な

い。生きるということは、僕たちにとってかけがえの無いものであるはずだけれど、かけがえの無いものを表現しようとすると、かけてもさして問題の

無いような言葉やそれに付随する意味しか出てこない。しかしながら、「生きる」という言葉だけでは余りにも抽象的過ぎる。自ら命を絶とうとする人

間を救いうるほどの強さを持ち得ない。僕たちが、いや、僕が必要としているのは救いうる「生きる」という言葉だ。道徳論や倫理、精神訓話を超越し

た「生」こそが僕が表現したいものなのだ。けれども、それは本当に言葉や身体表現、音楽で示す事は可能なのだろうか。示す事が出来なければ、

無いことと同じように扱われるこの物質社会で、その物質社会たる価値観の淘汰圧に耐えうる「生きる」を僕は、いや人類は表現できるのだろうか。

誰もが理解しうる形で表現する事が出来るのだろうか。一部の人間にしか理解出来ないような「生」は宗教でしかあり得ない。万人に理解されうる

「生」を追い求めることこそ、人類の命題である気がする。


2003/09/19

 今日は、何を書こうにも迷ってしまう。この事情は触れる必要も無いし、また触れられたくないのだけれど。僕は行けなかった代わりといっては何だ

が住職が生業の方のサイトがあって、そのサイトの過去ログの百六十四段を僕の精一杯の気持ちとして表現させてください。

 僕は東横線の車内で新たな「命」を宿した女性を見て、人目も憚らず泣いてしまった。


2003/09/18

 「なぜ日本人はかくも幼稚になったのか」、この問いを福田和也が発したのは、1996年の晩冬である。僕はその頃、一介の中学生だった。でも、今

この本を読んでも、全く色褪せて見えないのは、福田和也のその指摘が間違っておらず、また解消されていない証拠なのだろう。日本人は、責任転

嫁を繰り返し、善意をもって接すればすべてうまくいくと勘違いするようになってしまった。「何故、人を殺してはいけないのか」という問いに、だいの大

人が「人の命は尊いから」という情けない言い分しか出来なくなってしまっている現状に誰も警鐘を鳴らしはしない。「では尊いって何?」と訊かれたと

するなら、その「命は尊い」と答えた人はどのように答えるのだろうか。さらに、責任転嫁と善意ある行動という軽軽しい行為が占有する人生は尊ぶ

価値があるものなのだろうか。彼はナショナリストなので、その命に代えても守るべきもの、守るべき責任を国家としている。日本という国家を守り抜

くという事が、命に代えても大事なものなのであり、また我々が欲する安泰を生み出す方法だという。国家としての産業政策、国家戦略、諸外国に対

しての外交、それらを統括する日本国家こそが命よりも大事なものであると。僕たちにとって、日本国民というレッテルは何か、もう一度考えなけれ

ばならないと思う。最近、癪に障る動きとして「過去の戦争は悪かった、過去の戦争は悪くない」などと戦争を「善悪」で一括りにしようとするものがあ

る。僕たちが考えるべき事は戦争が善悪であったかという価値判断ではなくて、戦争で起こったことを踏まえて何をすべきかという価値判断なのでは

ないだろうか。例えば、「過去の戦争が悪くなかった。」という結論が出たとしよう。だからといって、過去の戦争の出来事は肯定されうるのか。答えは

勿論否であり、むしろその問い自体価値の無い命題であることが分かる。日本国民、いや日本国家に住んでいる人間といったほうが正確だろう。僕

達はここに住んで、何を考えるべきか、むしろ何故僕たちは幼稚になってしまったのか考えるべきだ。よく言われるように、これはナショナリストの言

い分で、軍国主義やら何やらきな臭い話の一つかも知れない。でも、きな臭さが何処から来るのか考えた事はあるだろうか。ナショナルであることが

何故忌み嫌われるか考えた事があるだろうか。パブロフの犬のように思考回路を選択してはいけない。何事にも厭わず思考しつづけること、それが

人間の責任というものだろう。


2003/09/17

 レポートが遅々として進まない状況はきっと、下北沢のインディーズTシャツショップに行っていないからだという甚だ勘違いの妄想を実現しに、下

北沢に行ってきた。先々日の和民会議で決定したおしゃれな夜の店を探すことも目的の一つだったんだけれど、午後2時に行ってしまう自分が明ら

かにダメだ。まぁ、インディーズTシャツショップにもハイラインレコーズにも行けたし、今回も色々なものを発掘出来てよかった。次に行く時は、既に

幾つか眼をつけているものがあるので、それを一気に買ってしまおうかと思う。それにしても、一見したフィッシュマンズっぽいジャージが何処に売っ

てたのか思い出せねぇ…不覚だ。

 そうそう、昨日のうちに福田和也の本は読み終えてしまった。この本の感想はまた明日。


2003/09/16

 今日は特段何も無い日なので、近所を徘徊してきた(俗に言う散歩)。一駅二駅の距離を歩く事が造作ない僕は、古本を探しに、一駅ほど歩いた

先にあるブックオフへ。この時点で、本を買う予定は全く無かったのだけれど、機動警察パトレイバーが100円だったんで衝動買い、そして単行本売

り場に行くと福田和也の「なぜ日本人はかくも幼稚になったのか」がはたまた100円で売っていたので買い物篭へ。結局200円の買い物をした。

 それよりも、遅々としてレポートが進まない。参った。


2003/09/15

 結局ね、うめっちとけんいち氏と3連荘バイトが一緒だったんですわ。で、結局ね、3連荘で飯を食いましたよ、えぇ、三人でね、結局ね。いや、本当

に。あれだね、ホントーに久し振りにコイバナをしましたよ、彼らと。コイバナっつっても、中学生級のことしか言ってないんですけどね。まぁ、僕はサ

バサバした人が好きなんですよ、ほら、僕ってうじうじしてるからね。よく言うじゃん、恋人には自分に無いものを求める、と。まぁ、こう書いてるとすご

く恥ずかしくなってきたんでやめますけどね、要するに今僕はほろ酔い&超眠いってことですよ。


2003/09/14

 …歌丸師匠が言うには「夏の終わりとかけて、はたまた恋の終焉とときます。その心は…秋(飽き)が来る」だそうで。そんなことはどうでも良くて、

最近ひどく寂しくなる時がある。誰か遊んでください。このままだと寂しすぎてしんじゃいます。


2003/09/13

 暦のうえではもう秋だというのに暑い日が続いている。僕自身、うだるような暑さと痛いほどの日差しの中で「暑いなぁ〜」とか、また逆に凍えるよう

な寒さの中で「寒いなぁ〜」とか、当たり前すぎるようなセリフを自嘲気味に言うのが好きなので、全然問題のないことなのだけど、ちょっと神経質な

人々はやれ異常気象だとか言ってたりすると、この人たちには日本の春夏秋冬は正しく見えているのかなぁと半ば寂しさを伴った感情に襲われてし

まう。確かに、地球環境を気にすることは大事なのだろうけれど…うーん。そうそう、ココでまた変なTシャツを買ってしまった。「電気人間」と「可燃物」

と「超合金」という柄だ。アルバイトに着ていける服がどんどん減っていく…


2003/09/12

 今日は、つっちーの演劇を見に行った。ああいう空間と多くは語られない登場人物の人間関係や間を見る(聴衆の判断に任せる)ような演劇が好

きだ。まぁ、だいたい僕の見方は間違っている事が多いのだけれどね。帰りは、一緒に見に行った高校のメンバーとちょっとお酒を飲んだ。そこで分

かったことは、ケンイチ氏はナルシストであり、「バケモノだ(byうめっち)」であるということだ。恐るべし。そして、今日もあんまり喋らずに終わった。ん

ー、僕はこれでいいのか?これでいいのだ。さて、また100の質問というのに答えてみた。


2003/09/11

 あの日、僕は何をしてたろうとふと思いを馳せていた。詩粉とメールでやりとりしていた記憶はあるのだが、その時僕が何をしていたのかまでは思

いだす事が出来ない。そして、あの日、あの場所に居た人たちは何をしていたのだろうか。いつもと変わらず、そこにあるはずの当たり前の日常が

あったはずだった。ニューヨークのある人がこう答えていた。「2年経った今も日常は戻ってきてないよ。」と。世界を震撼させ、多くの犠牲者を生み平

和への祈りを強くした同時多発テロ。けれど、僕たちの目の前に広がる光景はどうだろう、平和には近づいているのだろうか。アメリカは、嘘をつい

て人殺しをするために、中東のある国へと軍隊を派遣した。犠牲者ではなく、死者を増やしに。アメリカの算段では、その中東のある国が民主化す

れば、周りの国も相次いで民主化への道を突き進むだろうという楽観的な憶測があったという。灯台下暗し。とある半島の2国のうち1国は民主化し

たけれど、その周りの国はどうなんだろう。民主化したっけなぁ…その後ろ盾ともいえる国が崩壊しても、まだじゃないか。中東のある国を攻める時、

ちゃんと、嘘をつかず言えばよかったのだ。恐怖のはけ口として中東のある国を攻めたと。資源のタメに攻めたと。正義と自由という美名で、一体自

分の国ではない人間を何億人殺したら気が済むのだ。自分たちの国の人間であったって、そうだ。世界貿易センタービルの跡地を、契約という紙っ

ぴら一枚を楯に、テロを忘れないために追悼施設を作るスペースを削り、大規模複合商業地区に作り変えようとしている。知事は、WTC跡地には何

も建てないと約束していたというのに。恐怖を商業で埋め尽くす構造に、マイケルムーアは気付いていたけれど、形は違えど、同じ事をニューヨーク

はしようとしている。まだ、半数以上身元が分かっていないのに、何故だ。平和という脆い土台を揺るがす恐怖を押さえつける事が、平和を維持する

事ではない事に、何故、まだ気付かない。平和という名のもとに、イラク人が何万人死んだ?犠牲なんて綺麗なもんじゃない。ただ、死んだんだ。単

なるちっぽけな国の我儘で。同時多発テロと同じような事件は、多額の金と数人の人間が居れば実行可能だろう。独裁者を消すだけじゃあダメなの

に。何故、まだ気付かない。何故…僕たちは、今日も多くの犠牲者を出しながら、愚かな平和な毎日を暮らし続ける。親が子供を殺し、子供のような

大人が子供を殺し、子供のような国が人類を殺し、子供のような人類が自分自身を殺していく。素晴らしいご高説を賜りながら、死を迎えてもその幸

せな思考回路は止まる事を知らない。僕はこんな21世紀を見るために生き延びてきた訳じゃない。愉しい事だけ見つめても、どうしても哀しい出来事

がこの瞳に映る。この毎日は平和か?犠牲者には過敏で、死者にはひどく無頓着な日々が平和か?この毎日は自由か?過度に時間拘束を強いら

れ過剰な自由選択肢によって逆に不自由を感じるこの毎日は自由か?だから何だと言われれば、そこまでだ。その言葉を放つ時点で僕が言わんと

している事がわかっていないのだから。わかってもらう必要などない。僕は人類博愛主義者ではない。でも、これだけは言わせてもらう。僕はあなた

がたよりも人類に絶望しちゃいない。諦めがあるなら、僕は嘆きなどはしないからだ。むしろ笑うよ。絶望できないから嘆く、そうでしょう?


2003/09/10

 あぁ、やっぱり僕は男なんだなぁと思ってしまった。普段なら絶対買わない雑誌であるAERAに、AV男優の加藤鷹のインタビューが載っているという

だけで買ってしまった自分が居る訳で。そして、シモネタがあんまり好きではないのにこんな事を日記に書いてしまう自分がまた、だめだなぁと思って

しまう。良かったら、このAERA貸しますけど…どうでしょ。


2003/09/09

 今日はナインティナインの日だ。毎年毎年彼らのライブに行こう行こうと考えていても、夏は色々と用事が多くその事を忘れてしまい、彼らのラジオ

を聞いて直前になって思い出して後悔してしまう。来年こそは必ず。

 さっき、ヤフーのニュースを見たけれど、WTCの跡地の開発問題で色々ともめているそうだ。土地の賃借権の問題や、被害者の身元確認がまだ

半数以上残っている状態であるのに、再開発事業が優先されることに遺族が反対しているそうだ。僕はどうせ、またテロの日が来たらそれについて

何か書くつもりなので、多くは語らないけれど、結局はこのテロも被害者とその遺族だけの小さな事件に変わってしまったわけだ。テロの犠牲者以上

にイラク戦争で死者(not被害者)が出ていくことに、平和という人々の意識はひどく無頓着なものだなぁ…まぁ、11日に。

 あともう一つ、一応今までの真面目に病んできた日々の一区切りとして社説に今の自分の気持ちを書きなぐってみた。面白くないけど、読んでくれ

たら嬉しい。


2003/09/08

 物凄く悔しい出来事だ。開店直後から眼をつけていた下北沢のインディーズTシャツショップが王様のブランチで紹介されていた。しかも、実際にそ

の放送を見たわけではないので、一体どのブランドのどの柄が紹介されたのか全然分からない。それゆえに、今度その店に行った時にどれを買う

べきか非常に迷ってしまうじゃないか(まぁ、そこは店長に訊けば一発で解決なんだけれど、それって何か悔しい)。あぁ、やんなっちゃうねぇ。まぁ、

いいや。僕はそこまで気にしない。逆にこれこれに行って、掘り出しもののTシャツを探す。決めた!探す!そして、一緒に行ってくれる人募集。


2003/09/07

 怒涛の3日間またぎの車川打ち上げ(5日〜6日朝までカラオケ、6日〜7日朝まで飲み)が終了した。余りにも面白すぎた三日間だった。まずは最

初のカラオケでは、スピーカーに向けて唄を歌い、「レコーディングだ!」と言い張る梅原氏の姿があったり、サザンばっかり入れていくケンイチ氏や

完璧な振り付けであややの曲を唄う福ちゃんなどが印象的だった。印象的というか、目に付いたというか……ははは。で、朝までカラオケでボロボロ

になった喉と身体を少し休ませた後に、夕方にケンイチ氏宅で「本当の」打ち上げに参加(カラオケは「打ち上げの前触れ」という括りらしい)。ケンイ

チ氏が都庁の試験やら警視庁の試験などで、半年間ケンイチ氏宅が使えず、その試験が素晴らしい結果に終わったので解禁されたのだけれども

やっぱりケンイチ氏宅は最高だ。お酒を飲んで、グデグデになってもすぐに寝られるし、色んな人と色んな話をたくさん出来るし。もともとあんまりこの

メンバーでは話さない僕だが、打ち上げでなんか知らんけど奥さん(←人名です)と結構仲良くなった。こうやってあんまり知らなかった人とも打ち解

ける機会が出来るのもケンイチ氏宅の魅力だ(まぁ、仲良くなって早々「もみさんもっと前向きに生きていってくださいよ」とダメだしをされたりも…)。

あと、むーらんと一緒のベッドで少し寝たけど、寝相が悪すぎてムカついた。みんなで「『川』の字」になって寝る時もむーらんがごそごそ動いて本当に

邪魔だった。後で、話を聞いたのだけれど、僕は無意識にむーらんに軽ギレしていたらしい、あと、何か日本語にならない日本語をブツブツ言ってい

たらしい。寝起きと眠気に本当に弱いのでそこは勘弁してください。繰り返すけど、本当に楽しい三日間だった。これでカタギの生活に戻れそうな気

がする。


2003/09/06

 おはようございます。昨日のカラオケのせいで、声がおかしくなっています。今日は車川打ち上げで、また早めに家を出るので、今日の日記はこん

なもんで終わり。恋愛体温が低いって何?そして、話し上手は結婚にはいらないって何?不器用なくらいが結婚には丁度いいって何?最後に、後悔

組って何?


2003/09/05

 えぇーと、これから、梅氏とかケンイチ氏とかとカラオケ行って来ます。昔のカラオケ嫌いは知らぬ間に直っている僕なのでした。歌は相変わらず下

手っぴだけれど。急いでいるのでこのへんで。


2003/09/04

 何だか知らないが、朝目覚めたら強烈な腹痛に見舞われ、半日以上息絶え絶えになりながら、横たわっていた。いつものように、何か悪いものを

食ったという訳でもなく。母親が言うには、風邪らしいが、半日以上腹痛が続く風邪ってありうるのか、むしろ、何かの病気なんじゃないかとふと恐ろ

しくなったけれど、夕方には回復したので、スルーすることにした。で、昨日買った論理学の本が面白すぎて、もう読み終えてしまった(もともと180ペ

ージ弱の本だし、入門書なので読み終えて当然なんだけれど)。この歳になって、あれほど頭を使って読んだ本は数少ないと思う(練習問題が付録

としてついていてそれが難しいながらも面白かった)。三段論法に始まって、必要十分条件、ジレンマなど、論理学入門とはいえ非常に内容の濃い

本だった。

 今思うと、この夏は思った以上に本を読めなかった夏だと思う。正直後5冊くらいはいけると思ってた。やっぱりまだまだ、修行が足りないわなー。

自分の進む進路に向けて、まだまだ読まねばならない本がたくさんあるというのに…それに、英語の勉強もしなければならないし…課題が減るどこ

ろか増えるばかりの夏でしたとさ…まだ夏は終わってないけれど。


2003/09/03

 市川浩の本を読み終えた。実に面白い本だった。心身二元論をに打克つのがこの本の主題であったけれども、間違いなくその主題は達成されて

いると思う(ただ、哲学全体としては、まだまだこの対立は続くのだけれど)。そして、僕がこの本を読んでよかったと思える点は、自らが考える「共

生」という概念や、「多様性」という概念において、根拠のようなもの(と言うには少し弱いけれど)を未成熟ながら手に入れられた点だ。この感覚を言

葉に表現するにはまだ、時間が必要だけれど、漠然とした概念が、少し定まってきたように思える。この考えがどのように化けるか、自分でもちょっ

と楽しみだ。さて、市川浩の本も読み終えたので、次の本を読むことにした。「論理学が面白いほどよく分かる本」という本なのだが、これは知識とい

うよりも、僕がこれから生きる上でどうしても必要な論理という技術を身に着けたいと思ったので買ってみた。どうなることやら。


2003/09/02

 訳のわからないことばかり書いていた。ということで、今日は地元の友達とカラオケとボーリングに行ってきた。この世の中にビーズを完璧に歌える

人間が居るとは思わなんだ。そしてそんな彼が最初に選んだ曲は「ゴッドファーザーのテーマ」だという衝撃。僕にとって、久し振りにセンセーショナル

な出来事だった。よくよく考えると、高校時代の友達とよく遊んでいるけれど、地元の友達と遊ぶことは少ない。今日は非常に楽しかった。これからは

もっと地元の友達とのパイプを復活させていきたい。なんだかんだでこの地元が一番落ち着くし、携帯の壁紙は大和駅だし。正直、カラオケとボーリ

ングの成績自体はボロボロだったんすけどね。


2003/09/01

 「<身>の構造」を読んでいるという話を前の日記に書いたけれど、興味深いというか、僕が思っていることに近いことが書いてあったので、紹介

させてもらおうと思う。市川氏(この本の著者)が言うには、世界の認識において一つの例をおいてみるとして、もし、自分が宇宙輪郭と自分自身の

身体しか認識できないとすれば、殆どのものは透過して見えないことになる。しかしながら、その宇宙輪郭しか認識できない人の周りには、僕たちが

毎日暮らして、眼にしている机やイス、電車、車などがある。彼には宇宙輪郭しか見えないとしても、彼と僕たちの生きる世界には机などがあり、彼

は認識できないとしても机にぶつかったり、その動きが阻害されたりと、事実認識世界とは別のものが存在している。もともとの話は市川氏の話では

なくて、とある動物(生物)学者の話で、人間の認識世界と、リス、ライオン各々の動物の認識世界はそれぞれ違うのだという話なのだけれど、市川

氏はここまで想像力を働かせている。市川氏の言う話を続けると、要するに、その動物と人間が違うように、人間各々にしても知覚、認識する世界

が異なるわけであって、それは文化にもよるし、その環境にもよるということなのだ(例えばキリスト教信者は林檎を見ると、アダムのイブの原罪、つ

まり禁断の果実を思い出すらしいし、環境汚染が進む地域と自然豊かな地域とでは人々の認識は異なって当然だろう)。

 この話を踏まえて、もし、世界というものを完全に認知、もしくは自分自身という存在を完全に認知し得るとするなら、自分が知覚、認識し得ない世

界を認識できる存在、つまり自分以外の他者が居なければならないと考えることが出来ると思う。また、自分の知覚に似た存在ではなく、出来るだけ

異なった知覚、認識を持つ存在である必要がある。すなわち、多くの人々…「多様性」を受け入れて、その中に自分自身を見出していく必要があるだ

ろう(「多様性」を受け入れた瞬間、もしかしたら劣等感や優越感という感覚はその意味を終えてしまうのかもしれない)。だからこそ、今はどんなに自

分自身が嫌でも、生き延びる必要があるんだと思う。それは、誰かに救ってもらうという後向きの意味ではなく、自分自身を本当の意味で知るという

前向きの意味で。自らを知らずして、幼いうちに自らに失望することは実に不毛に思える。また、自我を過信することも同じだ。誰も独りでは生きてい

けない。いや、生きてはいけない。それが世界だからだ、それが生きるということだからだ。訳のわからないことを最近書きすぎている今日この頃。


2003/08/31

 夏が終わる。そして今日は超眠いのでここまで…


2003/08/30

 今日はラジオの収録をした関係でかなり遅くの更新になってしまった。ごめんなさい。ラジオの回数を重ねるたび、自分の喋る時間がどんどん少な

くなっていく。ジングルの数も減っていく。まぁ、全然気にしていないのだけれど、MC失格なのは確かだ…うーん…精進しなければ。明日も早いので

今日の日記はここまでにします。昨日の日記について誤解の無いよう補足したいところだけど、その全てを含めて社説に書こうかと考えているので

少々お待ちあれ。


2003/08/29

 宅間被告に死刑判決が出た。当然と言えば、当然なのだが、彼は一体何を思って法廷に出て、退廷していったのだろうか。彼は彼の人生を生き

ている、もしくは生きていたのだろうか。何処かでは自分の人生を自分のものではないと感じていたのだろうか。彼がいつぞやのワイドショーで取り

上げられていた学歴コンプレックスに縛られていたという日々は僕にとっては他人事には思えなかった。殺人事件に発展した時もエリートが羨ましか

ったと発言しており、僕は正直言って彼に同調していた部分が少なからずあった。僕は幸い友人や仲間、先輩に恵まれ、その呪縛からようやく脱け

出すことが出来た。でも宅間被告はそこから脱け出すことが出来なかった。学歴という名のコンプレックスが犯行の決定的要因ではないにしろ、鈍

く重く痛む「傷」に彼は確実に悩まされていたはずだ。その痛む傷を癒す術は彼の周りには無かったのだろうか。昨日の本を紹介していた予備校講

師がこんな事を書いていた。「劣等感、つまりコンプレックスはもともと複雑な感情という意味をもつ。劣等感は劣っているというだけの感覚で出来て

いる訳ではなく、その裏には『誰よりも優れている』という感情が潜んでいる。だから、劣等感を持つ人間は時に異常な努力をする、それは本当に

異常なまでに。頑張ることは必要なことだと思うけれど、頑張りすぎることはいけない。」と。宅間被告は人生を頑張りすぎてしまった。そして、彼が

陥った「努力の量に伴った成功が得られない」という錯覚。彼もそれなりに成功しているはずだった。だが、錯覚に悩まされ、傷に悩まされ、劣等感

と異常な努力の先にあった結末がこの事件だとするなら、悲劇だ。学歴が悪いなんて思わない。でもね、学歴コンプレックスを含めた劣等感そのも

のを解消し得る装置がこの社会には少なすぎる。「人生」という言葉に、様々な視点を、より前向きな視点を与えるような装置が、教育があったって

いいのに。各人の意識を変えなきゃ変わらないことは分かってるけどさ、意識を変えるにはやはり周りの世界がまず重要なんじゃないのかな。僕は

その周りの世界が、不寛容だと言っている。学歴や小さなコンプレックスに悩まされている人生がどれだけ不幸なものなのか、体験しているのでわ

かっているつもりだ。だからこそ、この社会に寛容さを要求したい。この事件は何万分の一の確率で起きるような精神異常、天災の類ではないのだ

。この事件だけじゃない。社会の軋みを表すような事件が少しずつ、視界に映ってきている。僕たちは、こんな時代をどう生きるか…


2003/08/28

 予備校時代お世話になった予備校講師が紹介していた本、「<身>の構造:身体論を超えて(著:市川浩)」を大学の図書館で借りてきた。本を探

す際、OPACには引っ掛かったのだけれど、本棚を探しても見つからなかったので最初は「?」だった。けれども、OPACの情報を注視すると、「書庫

上層」と書いてあった。いつも自分が借りたいと思う本は本棚にあり、書庫請求はこの図書館に通い始めて初の事なので、自分でもちょっと感動し

た。読書と言えば漫画だった自分もここまで来たかと、ちょっと誇張した表現が入り混じっていることを自覚しながら、書庫の本を取り寄せる書類を

書き、この本を手に入れたわけだ。そしてこの本の読みはじめの感想は、「こんなに最初から難解な本は初めて!」である。ニーチェ、デカルトに始

まる心身二元論or一元論の潮流を踏まえたうえでの議論の展開であるので、予備知識は哲学の講義を受けた程度の僕にとっては、非常に難しく、

また、哲学に触れるのに格好の機会が訪れているということも出来るかもしれない。でもそういえば、哲学の学年末テストで「あなたは二元論、一元

論いずれを支持するか」という問いがあり、その心身論(若しくは身体論とよぶのかもしれない)に興味を持ち始めたのがまさにその頃で、或る意味

では予備知識は哲学の講義だけでよかったとも思える。重要なのは、興味を持つこと、持てることなのであって、入り口が重厚な鉄の扉か、自動ド

アのようにお手軽に開くものなのかなどの種類は特段気にすることでも無い気がする。その興味の価値や利益はその先に在るものだろう。そして、

その有益無益の価値判断は、個人の価値判断に任せられる(入り口によって、バイアス(=偏見)が生じてしまうとしたらそれは少し哀しいけれど)。

価値判断とは、裏を返せば、その人の人生観に直結すると思う。周りが有益と評するがゆえ、無益と評する人もいるだろうし、周りとは無関係に自

己の評価を貫く人間もいるだろう。僕はそういう眼で価値判断を見ていて、それがたまらなく興味深くて、また人間を好きにさせる(時に嗚咽を伴う

ほどの嫌悪感を持つこともあるけれど)。評するという行為ほど人の人生観、世界観が垣間見える瞬間は無い。そういう意味では、昨日の「ワンダ

フルライフ」という映画は、最も大切な思い出という価値判断についての映画と考えることも出来、僕がそれを好きになったのも「価値判断という価

値」を僕の価値観が好んでいたからかもしれない。何回か、書いたかもしれないけれど、僕がこの世で一番興味を持っていることは、他人にはこの

世界がどのように見えているのか、ということなのだ。千原兄弟(吉本興業の芸人)の千原Jr.は子供の頃、自閉症気味で、太陽を黒く描いたことが

あると言い、今でもたまに黒く塗りつぶしてしまうことがあるそうだ。千原Jr.が見る太陽とは、自然とはどのようなものなのか。僕は今も気になって仕

方が無い。そして果たして僕が見えている世界は、誰かの見る世界とはどこがどう異なっているのだろうか…興味は尽きない。


2003/08/27

 昨日の日記に書いたとおり、食中りのせいで勉強会を棒に振ったと書いたけれど、これもいい機会だということで、少し調子を取り戻した水分不足

気味の身体をレンタルショップに運んだ。ちょいと前の僕なら、不貞寝で終わってたろうとふと思うと、やっぱり成長してんだなとしみじみと感じてしま

った。まぁ、そんなことはさておき、レンタルショップに来たはいいものの、基本的に目当てにしている映画はほとんど無く、今回も例に漏れずなかっ

た(ジャッキー=チェンの「木人拳」とは口が裂けてもいえないのだけれど)。しかしながら、来たからには何か借りないと気がすまないのが僕の性格

なので、邦画の棚の中から品定めをしていると「ワンダフルライフ(是枝裕和監督)」が眼に入った。正直、映画に関して疎いので、是枝監督がどれ

だけ凄い人なのか、そして、この映画がどれほどの話題を呼んだのか知らないけれど、パッケージの売り文句に魅せられて借りてしまった。詳しい

話はリンク先に飛んでいただくとして、感想としてあるのはまさしく「ワンダフルライフ」という言葉だ。「天国に行く前に、生前で最も大切な思い出を一

つだけ選び、出来る限り忠実に再現した映画を作り、その思い出が鮮明となった瞬間に天国へ行き、その思い出だけ胸に永遠の時を過ごす」。

この設定について最初はかなりの反感を覚えてしまったのだが、映画を見終わった後、なんだか深く納得してしまった。是非、機会があればみんな

に見ていただきたい作品です。ちなみに、今の僕が大切な思い出を一つ選ぶとするなら「浪人して最初のセンター試験二日前にかかってきた親父

の電話」と答えるでしょう。念願成就の瞬間でもなく、栄光の日々でもなく、焦燥感と劣等感に苛まれながらも、前を見据える感情が複雑に入り組ん

だ状態でかかってきた父親からの励ましの電話が、どう考えても一番大切かな、と。さて、みんなにとって最も大切な思い出は何だろうか。

 あ、そうそう、こんなんやってみた。


2003/08/26

 今日はゼミの勉強会だったのだが、相変わらずまた鮭に中ってしまい、貴重な勉強会を棒に振った。もう自宅では鮭は絶対に食わないことにする

。勉強会の内容は昨今話題の若年失業についてで、これについてはレポートを提出する形になると思うので、僕の思うところをそのうちレポートを

アップロードする形で表明したいと思っている。履歴書にも幾つか書いたのだけれど、今色んな事に興味を持っている。経済学においての「労働」の

意味や、身体と精神の一元論、二元論の突き詰め、法学政治学におけるリベラリズムとナショナリズムなど、その分野は多い。前にも言ったとおり

僕が興味をもつことは大概、実社会では役に立ちそうも無い知識ばかりだと思う。役に立たないのは今だけであって、これから…という議論は前に

行なったので、もう一つの観点でこの役に立ちそうも無い知識について考えてみる(ちなみに車川論題の一つ)。僕はみんなご存知の通り、抽象的

概念を振り回していることが多い人間だ。正義や、道徳や人間性という風なことばかりこの日記を使って叫んできた気がする。僕にとって抽象的で

非現実な発想は、現実世界、つまり、実社会を生きるために必要なものなのだ。すなわち、僕の思考スタンスは抽象から具体へという回路が構成

されていると考えることが出来るのだと思う。「いい世界とは○○である。」という言い口と「○○と■■が存在するのがいい世界と言える。」という言

い口があるとすれば、僕は前者なのだろうと思う。抽象の世界で得た道程を、現実の世界でなぞり直すという作業を経て、僕の知識というものはそ

の価値を完結するはずだ。だからこそ、今色んな事について実用性は無くとも、実社会という戦場で生き抜くにあたり、武器や食料にならずとも僕

は知識を身に付けることを選びたい。極端に言えば、知識亡き人生こそ僕にとって不幸なのだ。幸福な人生と言い切るには知識が必要だ。そして

僕にとって『知識』とはどんな『モノ』・『考え』・『感情』を指すものなのか、常に考えて生きていきたい。『知識』を身に付けることとは何か。そして『知

識』そのものとは何か。知的好奇心の旅は続く。


2003/08/25

 うちの母親は1〜2年前から風水に凝っている。そのせいで、僕の部屋には「運を呼ぶ!Dr.コパ特製風水シール」が勝手に貼られてしまっている。

ミスターチルドレンの歌詞のように「信じることが出来そうなくらいの可愛い嘘(=占い)はなるべく信じてみることに」する性格であるので、別に母親

のやるその風水には何の咎めもしないのだけれど。その母親が今年始めに買ってきた「2003年風水開運BOOK」なるものを今日初めて読んでみた

のだけれど、ビックリした。僕が当てはまる宿星の開運アクションやら開運ファッションやらすべて無意識のうちに自分が実践しているのだ。今年の

占いといい、風水といい、的中しすぎだ。何だか「トゥルーマンショー」のようでちょっといやだなぁ。


2003/08/24

 このホームページを再開するまで、車川旅行期間中も含めて2週間も暇を戴いてしまった。この2週間の間、何をしていたかといえば、「再開にあ

たって」と「時間を下さい」にあったとおり、20代になってから悩み抜いた2年間に生まれた考え、感情を整理していた。そして出た結論が「再開にあ

たって」に書いたとおりのことだ。一度、ある人に叱られたことがあるけど、僕は余りにもマイナス思考だ。さらにマイナス思考ではダメだというマイ

ナス発想(マイナスかけるマイナスは…というような少し気の利いたレトリックを信じたいところだけれど、僕はそれ以前に四則演算をまともに出来

るほど器用な人生を歩いてはいない。足し算と引き算で精一杯だ)。確証は無いけれど、多分気難しさの一端を担っているであろうこの気持ちを

ちょっと視点を変えて見てみる事にした。別に、マイナス思考でも良いじゃんってね。5月の決意のような意地でもプラスに考えるでもなく、この心境

に辿り付けたのは自分でも吃驚だ。でもまぁ、また、同じような心の迷宮に迷い込んでいくのは目に見えているのだけれど。ちっとも懲りない僕の

心。しかしながら、それでいい。まずはここから、でしょ?

 そうそう、このホームページを再開するまでの間、僕の周りでは色んな出来事があった。初めての盆明けアルバイトの驚愕すべき電話応対の量

や、田邉君の就職内定(警視庁&都庁)、梅原氏暴走、そして寝言で「まっすぐ一直線にトンネルなんか掘っちゃいけないんですよ!」発言、福ちゃ

んの中津川遠征、ハマコイ…数えればキリが無い。毎日更新を標榜してから、日々の出来事を何の気も無く綴ってきたけれど、その毎日更新の

クセのせいで今書いた色んな出来事について色々とコメントしたくて仕方ない。でも、毎日更新復帰第一日目ということで今日はここいらで止めて

おく。そのうち気が向いたら色んな事を書くつもり。前から色々書いてるけどね、ははは。


2003/08/10

 あの、ごめん。書くこと無い。目の前の楽しいことに頭がいっぱいです(笑)。強いてあげれば、バイト先の社員さんにあだ名をつけてもらった事

くらいか。今日から俺は「ジョカトーレ(サッカー選手という意味)」だ。みんなよろしくね。


2003/08/09

 うい、今日はちょっとお酒を飲んでます。酔ってる訳じゃないんだけど。仕事を終わりで池袋に向かい、12日で椎野君のバンドを脱退するよっつ

の最後の雄姿を見てきた。バンドを脱退するけど、音楽にかかわる仕事をしていくらしいのでなんだかんだで音楽人であることをしみじみと感じて

しまった。ライブの後、ゆき姉さんとヒロシ君とスータケとでお酒を飲んだ。いやー、本当に車川が楽しみだねぇ。あ、そうそう、優も居た(笑)。

 まぁ、帰りの電車で酔っ払いのおっさんに絡まれたけど車川近いので良しとする。


2003/08/08

 この日記を毎日見ている酔狂な人は分かる通り、俺の価値観が今、眩暈苦しく変わっている。昨日の俺の価値観が、今日の自分には通用

しなくなっているレベルまで来ている訳じゃないけど、とにかく今までの自分の人生に較べたら物凄く早いスピードで変化を繰り返している。事実

自分でその感覚についていくのが精一杯だ。昔は、変化に対して嫌悪感を抱いていた。それゆえに抱えてしまった心の捻くれを始めとした心の

遍歴なのかなといい意味で振り返れていたりもする。昔にやった占いどおりの結果になっているのは少し納得がいかないけれど(笑)、それは

それでよくて、重要なのはこの変化を肯定できている自分なのであって、占いに左右されてるのかもしれないという疑心ではない。むしろ、その

占いの言葉さえ人生に巻き込んでいく力強さと今の俺は、この状態を呼べるだろう。まぁ、みんなにしてみりゃどーでもいい話か。


2003/08/07

 で、本日は家の近くのビデオ屋に行って探してみたら、すぐに見つかった。最初からこっちに来れば良かったんだけれど、あいにく兄に俺の会

員証を渡しており、借りることが出来なかった。自分の中でも、こっちのレンタル屋には必ずあるという確信があっただけにちょっと時間を無駄に

した気分になったが、昨日の日記にも書いたとおり、香山リカの本を購入できたのでよしとしよう。ビデオは『東京日和』だけでなく黒澤明監督の

『生きる』も一緒に借りてみた、というのも俺の持っている『知ってるつもり?!言葉のアンソロジー(ちなみにアンソロジーとは選集とかそういう意味

らしい)』の言葉の中に『生きる』の作中の登場人物のセリフが載っていたことと、社会学の横倉先生が「公務員を目指す人は、職業倫理…とでも

言うのかなぁ、志村喬演じる公務員の、その気持ちを汲み取ってもらいたい。是非見るべきでしょう」と言っていたことが思い出されたからだ。まぁ

まだ『生きる』は見てないんだけど。それで、『東京日和』はとても良かった。話にいい意味で抑揚が無くて、主人公である島津巳喜男が妻ヨーコ

を日常の中で深く愛している姿が抑揚が無いせいで一層引き立ったと思う。原作(といっていいのか分からないが)は荒木経惟と荒木陽子共著の

フォトエッセイ「東京日和」で、主人公がアラーキーだと分かるとまたまた感動する。これ以上のことを話すと、これから見る人が面白くなくなるの

でこれくらいにしておきますが、これは必見の一本だと思う。邦画では今のところ一番といえる作品だと思うな。


2003/08/06

 先ほど、大和まで竹中直人主演『東京日和』を借りに行ったんだけど、全部レンタル中だった。かなり前から見たかった作品だったので、がっかり

したけれど、せっかく大和まで出向いたので、ちょろっと近場の古本屋に寄ってみることにした。で何の因果か今日という日付の因果かどうか

分からんけど『「愛国」問答』という新書を買ってきてしまった。著者は香山リカ。知ってる人は知ってるかもしれないけれど、サブカルの中では

結構有名な精神科医だ。サブカルという現代を色濃く反映する分野の出身(というと何処ぞの専門家に怒られそうだが)の彼女ならではの現代

分析、若者の心理分析が自分にとって昔から非常に興味深かった。しかし、今まで彼女の著書を読んだことが無く、また車川で読む本をと

考えていたので、今回のはうってつけと思い買ってきたわけだ。対談者として福田和也も執筆しているらしく、もしかしたら『東京日和』以上に

良い買い物をしたかもしれない。偶然は素晴らしい。


2003/08/05

 今日の日記は全く別の内容を用意してたのだけれど、本日の相鉄線車内の出来事が余りに鮮烈だったのでこっちを書くことにする。前に

書いたかも知れないけど、心が磨り減った時は必ずといっていいほど「HERO」を聴いて泣きながら心を癒している日々で(笑)、それで今日

バイトが終わり相鉄線にて家路を辿る車内にて俺の座席の隣にくたびれたサラリーマンが座っていた。財布をあさって何を見ているかと思って

覗き見すると、生まれたての子供を抱えた自分の家族の写真だった。そしてそのサラリーマンが小さく「よし」と呟いて、素晴らしい表情をしたもん

だから危うくその相鉄線車内でその人を抱きしめかけたよ(笑)。車内で涙を流さないようにかなり必死だったしさ。いやいや、これだから電車は

好きだ。


2003/08/04

 本日はラジオ収録をしてきた。あのねぇ、マイク一本で6人話すのは無理があるとおもう(笑)。でもそんなこんなで今回も楽しかったのでよしと

しよう。ラジオで思い出したけれど、そういえば車川まで一週間を切っているんだよね。思えば、あっという間だったなぁ。カウントダウンの日にち

が3桁だった頃がつい最近のように思えるよ。そのせいか、心が車川モードになってないので、急いで切り替えねばならぬ。あぁ、車川で何をしよう

かなぁ…


2003/08/03

 みんなもご存知の通り、アーティストとか呼ばれる人種を酷く嫌いな俺なのですが(音楽やってたらミュージシャン、絵を書いてたら画家だべ?)

とあるオークションを見て、少し考えてしまった。この際、アーティストという呼び名を許すとしよう。その、アーティストが創作したアートは時に高値

で取引される。それはまぁ、うなづける話なのだけれど、アーティスト自らが自分の作品と認めない作品、つまり自分のアートでは無いと思って

いるものでも高値で取引されることがある。例えば、アーティスト同士が交わした書簡だとか、アーティスト自らが使った画材道具や楽器などだ。

もし、アートを高値で購入する人がその価値をわかっていたとしよう。そのアートを購入した人は、続けてそのアートではないものを高値で購入

し得るだろうか。これに対する明確な答えというのは難しいが、俺の考えでは「イエス」である。高校1年の時、開いた英単語帳に掲載されていた

「Art」の意味を拝借すれば、藝術という意味のほかに、人造のものという意味がある。俺にとって、今、この世の中に流通する「アート」という

言葉はまさにこれなのだと思う。とある未完成の何か得たいの知れぬものを作者がアートだと断言するとしよう。その時、多くの人がそれをアート

として認めるか分からない。でも、そこに賛同者が集まれば、それは例え、アートと呼ぶには明らかに器量が足りてないとしてもアートになる。

つまり、言葉を悪く言えば、アートとは「騙しあい」なのだ。俺にとってアートを評価するということは、それをアートだと信じ込む、もっと言うなら盲信

することなのである。そこには、本来アート、いや藝術と呼ばれるに値する本質は見られない。しかしながら、どこぞの小説にもあったように、信じ

込んだものこそ真実なのであり、フィクションのアートが、その殻を超えて、ノンフィクションのアートを装い、それがある種の正統性を持ち得るの

なら、それは「アート」なのである。しかしながら、それは限りなく抽象的なことであり、ゆえにそのアーティストと呼ばれる人々の本来アートと呼ば

れるべきではない物品についても、人々はオークションで狂ったように高値を付け合う。これは、悲劇だ。本当の意味で、そのアーティストが

アーティストであったとしても、評価者はその本質を見極めていることを出来ていないが、そのアートという宗教と、そのアーティストという教主を

盲信するがゆえにそれを評価し、購入してしまう。言うなれば評価者はブランドとしてのアートを評価しているのであり、藝術としてのアートを評価

していないことになる。このことこそが、アートではないものに対する高値を呼び、アーティストの本質的評価を下げてしまうことになる(神奈川

総合高校の課題研究はまさにこのことが言いたくて書いたのだが、それを充分に示すことが出来なかった)。また同時に、アートを評価する

にはやはり、それなりの才能を持ち得ていなければならないということをこのことは示している。高値で購入することが、必ずしもアートを理解

していることにはならない。高値で購入するがゆえに本当のアート(というもの)は安く扱われてしまうのだと、俺は思う。

 というようなことを、クレーマーの電話応対中に現れたポップアップ広告を見ながら、考えていた。ダメですか(笑)?


2003/08/02

 まぁ、話題ではもう無くなったんですけど、イラク戦争のことについて幾つか言いたいことがあるんですわ。えーとね、ブレア首相。あんたアホ。

保身のためかどうか知りませんけどね、あれだけイラク戦争を進めておいて、いざ正当性が無くなったら話題にも挙げず、記者の質問をはぐら

かすんですか。えーとね、人たくさん死んでるんですよ。いや、戦争じゃなくて誤爆で。お分かり?それと、ブッシュ大統領。あんたもアホ。演説の

中の文章から「大量破壊兵器」を消したところで、イラク戦争の正当性が回復するなんてことは無いんですよ、はなっから。イラク戦争に踏み切る

ための情報を提供した博士が自殺したって言いますけど、本当はあんたが圧力かけたんちゃいますのん?正義はそんなことしないって?ご冗談

を。正義の戦争でイラクに侵攻したんでしょう、僕ぁー覚えてますよ、あなたの演説の主要部分全て。正義ってなんですのん?つうかあなた方の

正義は、正義的に軽すぎますよ。悪に制裁を加えるのが正義だと思ってらっしゃるようなら、自殺をお奨めしますよ。ほら、だって、あなた方は

まさしく悪じゃないですか。いや、明確な理由とかあなた方と一緒で特に無いんですよ。理由なんか後でとってつければ良いんでしょう?自分の

やったことくらい覚えておいてくれや。マジで腹立たしい今夜なのでした。


2003/08/01

 期待を裏切らない八月一日だね、夏の日差しとけだるげな暑さ。そうそう、これだよね、夏っていうのはさ。それはさておき、昔のご学友のサイト

を見ていたらまた新しい性格診断系サイトを発見しまして早速やってみました。で結果がこれ。やべぇ、当たってる(笑)。積極性の無さとか現実

逃避率とかもうそのまんまやん。さぁ、みんなもレッツチャレンジ。


2003/07/31

 そういえば、毎日日記を更新して早半年。色んなことがございましたなぁ…そして、明日から夏本番の八月です。俺の生まれた月というのと同時

に夏が好きだという気持ちもあるので、とても楽しい月になりそうやね。

 で、昨日の車川プレ飲み会ですが、メンツはゆき姉さん、mo-shi、ナツコさん、あかりママ、ヤナさん、おゆ、ともきくんの計8名集まりました。

まぁ、車川と関係ないただの飲み会に最終的には成り果てていたけれど(笑)、みんな元気そうでなりよりだった。なんつーか、車川メンバーは

落ち着くわ、理由も無く。精神年齢が高い人ばかりだからかも知れないけど、ただならぬ安心感がある。そんな人たちと旅行に行くのだから楽しく

ない訳が無い。車川のあの素晴らしく優しい空間も相まってきっと今年も素晴らしい旅行になるに違いないべさ。後11日!…だと思う(笑)。


2003/07/30

 いやー、ごめん。今日は車川プレ飲み会でした。二日前の召集にかかわらず、呼んだ人の9割が集まる車川メンバーは最高でした。本日は下

北沢に行ったりだとかたくさん書くことあるけど、ほろ酔い状態で大和から二駅歩いてへとへとで超眠いので明日以降でよろしくメカドック。


2003/07/29

 よし!テスト大終了!これで俺は晴れて自由の身だ。俺が自由になることを何人も止めることは出来ない(笑)!今年の夏は色々と計画してる

わけではないのだけれど、充実するような予感がする。まずは、去年の「あの日」から急激に増え始めた読書量とそれに併せた知識の拡大の

おかげで、読みたい本が貯まっていてそれを読むことが出来るし、ゼミでは夏休みの課題として若年失業について、大嫌いな社会政策では自

治体の高齢者対策レポート、経済統計の公債負担論と多くの分野にわたって自分の興味のある分野のレポート課題が出ている。更に遊びでは

伝説の聖地車川旅行を始め、最近凝り始めた下北沢探索、ミニシアター系の映画を見たりと色々としたいことばかり。思うほど歳を重ねるのは

悪くないと思える数少ない瞬間かもしれない(まぁ、でもね、俺は歳を重ねていくのは昔から悪くないと思ってたりするので、歳を重ねるにつれて

人生がどんどんと楽しくなっていくね)。あ、そうそう昨日の日記なんだけど、自分が読んでもさっぱり分からない文章だった(笑)。


2003/07/28

 テスト期間中は脳みそが研ぎ澄まされているせいか、ちょっとボーっとしただけでも、相当な事につらつらと意識が飛ぶ。例えば、今日なんかは

「言葉の三次元性」と「言葉の力量」というものについて考えていた。俺は、記号や言語といった具体的なイメージを言葉に当てはまるのがあまり

好きではない(詩を書いたりするくらいだからねぇ)。だから、これから説明することは抽象的過ぎてわからないかも知れないが、それはそれで

容赦して頂戴。「言葉の三次元性」というのは、自分がある言葉を発したとしたら、三次元ゆえに自分が把握できない、つまり自分の意識では賄

いきれない部分が存在するということなのだ(サイコロは一方向からでは、全ての賽の目を見ることが出来ないような意味です)。また、「言葉の

力量」(初出:『大学五年生』/木尾士目)というのは、言葉通りの意味で様々な出来事においての、説明力やら説得力に分類されるようなことだ。

この二つのことを思うと、恐ろしくなって言葉が出せなくなってしまう。一期一会としかいいようの無い日々の会話においては特にだ。口を開けた

としても茶化すためのセリフだけで、真意なんてそうそう口に出せるものではない。確かに、ここまでの話だと単なる考えすぎなのかもしれないが

もし、この二つのことを意識から消してしまったとしたら、それこそ本当の意味での会話が出来なくなるような気がして恐いな(いや、言葉を発し

なきゃ会話って出来ないんだけどね(笑))。「言葉の三次元性」は仕方ないとして、「言葉の力量」の概念に関しては永遠に俺に歯止めをかけ

かねないものだろう。井上達夫先生の本を読みすぎたせいもあるかも知れないけれど、説得とか合意とか多数決とかそういう一種の合理性が

暫定的決定として採用されて、それは会話にもいえることで、確かに会話や会議では必要なものなのだけれど、物凄く危ういバランスで成り

立ったその決定の表面が誤魔化されて、最後には暫定的決定が慣習となり前例となり、揺るがないものになっていくイメージがどうも俺にとって

良く見えないのだ。うん、ごめん、やっぱり考えすぎ(笑)。


2003/07/27

 夢を見た。バイト先で電話がガンガン鳴っている夢だ。焦って飛び起きたら、まだ家だったので安心したのだが、出勤してみると、夢の通り電話

がガンガン鳴っており、休日なのに物凄い量の夜間対応分のFaxがきていた。こんな正夢なら見ないほうがよかったと思う今日なのでした(笑)。

 明日のテストは日本経済論だ。ん、問題なし。


2003/07/26

 一応テスト中なので簡単に出歩く訳にも行かず、一日中家に居て、ボーっとしていた。この前、触れ忘れていたのだが、東京大学にあった用事

とは、今度東京大学が新しく始める大学院で「公共政策大学院」というものの説明会があるので、それに参加しようと思っていたからだ。しかし、前

にも書いたように体調が優れなかったので行けなかった訳だが、何故、学部2年生なのにコノテの情報を集めているかというと、来年からでは手

遅れだと自分で思うからだ。俺が大学受験で学んだことは「準備不足」、この4文字。偏差値はあったけれど、実際にそれを受験に活かす方法を

用意してなかったと今思ってる。だからこそ、勇み足くらいの勢いで(←この言葉、実は俺の人生と相性が悪い(笑))調査を進めているのだ。

 正直なところ、未だ大学院進学をするのか分からない。けれども、具体的な進路の一つであるので、将来の不安感を拭うという意味でもとても

重要なのだ。なるようになるのが人生だけれど、なるようにしたいと思ったっていいじゃない。


2003/07/25

 第2給料日です、イェイ!というのもワーキングルームのアルバイトの給料は本日入金されるのだ。外は雨なのでまだ取りに行ってないけれど。

今日は特段何もしなかった。強いてあげれば、ギターの練習くらいか。今、これが俺を苦しめています。つうかさ、合わせて1200ページくらいある

のね。流石に俺でも全部覚えられねーよ。有名な曲だけでいいとU原氏は言ったものの、この2ミュージシャンの有名な曲って結構あるんですわ。

でも、両者とも難しいコードを使用する曲が多いので、ギタリストのスキルアップには丁度いいのかもしれない。

 この前の、少年法厳罰化について社説に纏めてみた。


2003/07/24

 ヘボいミスで、テスト満点を逃した。まぁ、後期もこの調子だと満点が狙えそうなので、そこで挽回すりゃいいから、全然落ち込んではいない。

なんつーかね、自分が予想していた難易度よりも相当易しかった。IS-LM分析で均衡点まで求められるようにしっかり勉強したのに、出てきた

のはクラウディングアウトの説明(多分このクラウディングアウト、来週の日本経済論のテストでも出ると思われる)。でも、原論1なので簡単

じゃないといけないのかな。いや、うちのバイトのビッグボス北村教官の原論1は怒涛の講義だからなぁ(黒板の字からして北村ヒエログリフ

なので読み難い(笑))。まぁまぁ、これでもうテストは終わったも同然なので、気が楽だ。車川に向けてギター猛練習だっぺ!


2003/07/23

 以前書いたとおり、今、歯の治療を行なっているが、本日の治療はロハ(お金がかからなかったという意味)だった。別に、サービスとかそんな

話ではなく、ただ、歯の型が合わなかったというだけの話だ。先週の時点でその厭な予感に気付いてたのだけれど(歯科助手が型を取っている

時に指を入れ換えたから)、まさか的中するとは思わなんだよ。

 それと、スネオヘアーの新しいアルバム「a water color」を買ってきた。粗品としてよくあるタオルが特典としてついてきたが、相変わらず粗品は

使い方に迷うものばかり(笑)。いや、タオルが手に入ったからお得っちゃあお得なんだけどよ、そのお得感と不必要感のアンビバレンスに苛ま

れているのだ。あ、アルバム自体は素晴らしい出来だと思います。なよなよ感がストライク。あぁ…踊る大捜査線見に行かなきゃなぁ…


2003/07/22

 で、まぁ今日はちょっと体調が優れなかった関係で下北沢には行かなかったんですが、実は東京大学に用事があったのは本郷のほうだった

のでどっちにしろ下北沢じゃなかったわ。それで今日一日家にいて何をしていたかというと、テスト勉強なわけでは勿論無く、友達から借りた

「BS漫画夜話セレクション」を4時間ぶっ続けで見ていた。取り上げられていた漫画は「スラムダンク」「幽遊白書」「機動警察パトレイバー」「最終

兵器彼女」で、「スラムダンク」と「機動警察パトレイバー」がとても面白かった(他の二作はどうでもよかった。特に「最終兵器彼女」)。それは

俺の人格の根底に流れるヲタク的な要素の面白さもあるけれど、それと同じくらい、その漫画が何を表現したかったのかとか、漫画が人気に

なったその時代背景の考察が非常に興味深かった。漫画といって侮る無かれ、今は亡き石森章太郎は社会問題を描くために漫画を描き

始め「漫画とはすべてを表現できる『萬画』(『よろずが』と書いて『まんが』)なのである」という名言を残しているのだ。個人的には音楽をはじめ

とした藝術を分析することは厭うほうなのだけれど、漫画だけは不思議と受け入れられるのは何故なのだろうか。映画はダメで、漫画は何故

許せるのか。んー、分からんが、考え抜くようなことでもなさそーなので、保留。あと、Tシャツ撮影なんだけどもう少し待たれよ。


2003/07/21

 ぶっ壊れていたデジカメが帰ってきた。これでまたカメラ小僧になれるぞ、と心にも無いことを今思っている(笑)。3ヶ月前に大金はたいてデジ

カメを買ったものの、写真を取る癖の無い俺には無用の長物なのだ。しかし、これではまずいと思い、写真を撮影しまくって少しでも減価償却を

しようと思った矢先、買って1ヶ月でデジカメ故障(笑)。そのご2ヶ月ほど放置して車川のために修理に出して、そして今日帰ってきた。が、まだ

包装から出してないんすけど。んー、なんつーか、撮りたいと思う被写体がないんだなぁ……あった、あのTシャツだ(笑)!以下次号。


2003/07/20

 今日は、海の日なので横浜駅は浴衣を着た人々でごったがえしていた。んー、なんつーか、まだ花火大会の季節とは言い難いと思うんだけど

まぁ、これも皆が夏を待ち望んでいる証拠なのだろう。早く夏が来ないものかなぁ。相変わらず、今日も何も無かった。

 あ、10000Hitおめでとう、俺。よくもまぁこんな辺鄙なページにたくさんの人がきたものだ。前のアクセスカウントを含めると2万強。はは、すげぇ。


2003/07/19

 俺以外の人間はきっと違う世界がそれぞれに見えている。でも他人の目に見えている世界を知る事がさして重要だとは思わない。それは結局

のところ別の世界であって俺が生きることはまず有り得ない。それよりも、俺以外の人間が違う世界を生きていて、全く異なる価値観を持って

いてその全く異なるという事実を承認することが重要なのだろう。最近考えがまた、変わったのだけれど、ある人は大事な人のすべてを知り

たいと言っていた。ある人の考えを否定する訳ではないのだが、俺はこう思う。必ずしも心を一つにしなければならないわけじゃない。心の距離が

最も短ければいいというものでも無い。前述したとおり、全く同じ世界を覗いている人は誰一人としていないのだから、心を一つにするということ

はどちらか一方の心を強いることであり、また、お互いの中間点を望むとしても、「自分」という中心から結構な心の旅路を要求するだろう。果して

それは、本当の意味で心が一つになったといえるのだろうか。また、心の距離についても、最も短ければ重要な存在になり得るかといったら

それは違うと思う。心と国家なんてものの質の違いは十分に承知しているけれど、敢えて例えとして使うのならば、隣り合った国は必ずしも友好

的ではない。逆に海を大きく隔てて存在する国同士が友好的な関係を築いている。この例を真に受けるとするなら、心の距離なんてものは重要

ではないのだと俺は思う。繰り返すようだが、それは「必ずしも」という話であって「絶対」という話ではないのでそこは了承していただきたい。

 俺の友人で、恋人同士なのだけれど、全くもってそりの合わない二人が居る。男の側の意見を聞けば「いや、喧嘩してでも傍に居たいんですよ

。」といっていた。これはクレヨンしんちゃんの時も出てきたセリフだ。我の強い俺は、そのセリフの本当の意味を理解出来はしないだろう。だって

今までの人生でそんな風に思える人に出会ったことがない。結局何が言いたいのか自分でも分からなくなってきたけれど、要するに結構長く付き

合っているその二人が幸せであって欲しいと、まったく関係ないんだけど今日思ってました(笑)。今日、特段出来事も無かったので、赴くままに

書いた結果ですわ。


2003/07/18

 午前中、忘れていた用事を済ませ、その後ビリヤードか下北沢に行くか迷った挙句、下北沢に行くことにした。用事が長引いたせいで高座

渋谷を午後3時に出発。一路下北沢へ。この前はTシャツを買いに行くために行ったのだけれど、今回は純粋に下北沢の町を楽しむために

行った。やはり、あの町は良い。若者の店と昔ながらの店があんなにも自然に融合している場所は初めて見た。変なTシャツを売っているの

はCUNEだけかと思ったが、他にも色んな場所で色んなTシャツを売っていたし、古本屋も自宅の近くや、東白楽近辺にある店とは品揃えから

して違う。認めたくは無いが、方向音痴の性癖はこういう時は面白い。気の向くままに歩いていけば、地図にも載らないような小道に迷い込み

新しい発見が待っている。そんな面白く、新しい発見を多くしつつ、今日の日記を終えるとしよう。


2003/07/17

 最早、給料泥棒としかいいようのないワーキングルームのアルバイトなのだが、今日、はじめて給料分の仕事をした。というのも、部屋の中に

あるネットワークプリンタが使えなくなったとのことで、教授たちが右往左往していたらしく、その知らせを聞いた俺は当番である今日、早速原因

究明に取り掛かったのだ。いやー、無駄にpingとか打っちゃったよ(笑)。結局原因はネットワークプリンタに差さっているLANケーブルの接触

不良で、抜き差ししたらすぐに直りました。その後、物凄く神妙な顔で僕らのビックボス北村教官がやってきたので、プリンタを直したことを伝える

と、いつも人の4.234倍くらいテンションの高い北村教官が一層テンションが揚がり(当社比7.923倍)、そして声もファルセットがかっていたのが

面白かった(笑)。つうかね、俺以外のアルバイト、碌にパソコン分かってなさすぎ。お金を貰ってるんですから、少なくとも言伝とか申し送りとか

手書きはやめませんか?


2003/07/16

 えー、危うく進級できないところでした(笑)。じゃ、今日はこのへんで!。。。というわけにもいかないね。何故、進級が危なかったかというと

実は、進級のシステムをイマイチ理解してなかったのが原因だった。2年次までに44単位取れば、見事3年生に進級できる。勿論、ある程度

単位を落としているとはいえ、俺はそのラインは軽々超えられる予想が立っている。しかし、実は44単位の中に英語4単位が入っていなければ

ならないそうな。今年度が終わると、普通の人は6単位手に入り、進級は問題ない。だが、しかし、とある事情で英語の単位を少しおとしている

俺は今年度終わりで、4単位。危ない(笑)!もし、このシステムを理解していなかったら、気まぐれに講義に出る俺は進級危機でしたわ。まぁ

安全策としてTOEIC点数制による単位免除を考えてもいるので、何とか進級は出来そうだ。最初、友達からは「6単位無いと進級できないよ」と

いわれ、滝のような汗が出たよ。いや、ほんに危なかった。事実は異なって良かった。皆さん、講義は真面目じゃなくていいですが、進級シス

テムに気を付けましょう。


2003/07/15

 バッチリ給料日!超ウキウキ!いつも、予想よりも多く貰えているので毎回得した気分だ。更に、今日は教官から先日紹介した「他者への自由」

を借りてきた。まだ、「現代の貧困」を読み終えたわけではないのだけれど、夏休み中に読みたい本をかたっぱしからつてを頼って借りることに

した(教官という都合のいい図書館を見つけた)。たまたま本日は、「現代の貧困」を持ち歩くのを忘れてしまったので、帰りの電車の中で手持ち

無沙汰になってしまったので、「他者への自由」の前書きだけ読んだのだけれど、既に雷鳴に打たれました(笑)。「自由」というものはそもそも

何か。もっと進んで「他者への自由」とは何なのかについて、こう書いてあった。「他者を他者性において尊重すると共に、他者と融合することなく

他者を自己変容の触媒として受容する節度と度量を兼ね備えた自由、この意味で他者に開かれた自由こそが『他者の自由』である」と。例に

もれず、母校のことを特別視するのはあんまり好きではないのだが、母校が目標としていた「自由」とはまさに、この「自由」なのではなかったの

だろうかと思っている。すいません、すっかり経済学のことを忘れてます(笑)。


2003/07/14

 経済学の中には、「公債負担論」という昨今話題になっている分野がある。今日の日本経済論でまさしくその分野に話が及び、公債負担論の

中の一つの説である「バローの中立命題」を説明してくれた。一応、これでも経済政策のゼミに居り、また、経済政策のテストでこれについて論述

問題が出ていたので、ある程度の知識は持っている。その付け焼刃的知識でも、日本経済論の講師の説明する中立命題はまったく間違って

いた。専門じゃないのは分かるけど、もっと専門的知識の無い学部生である俺より劣る説明をしてどうすんねん。同じ事をゼミの仲間も言って

いた。まぁ、そんなことはさておき、注文しておいたSSTVのTシャツを東白楽近辺のファミマに受け取りに行った。そして、迷った(笑)。えーと…

俺何年東白楽に通ってますっけねぇ?マジで迷った。正直ねぇ、方向音痴だと断固認めたくないんですよ。でもねー、東白楽で迷っちゃったら

さぁ、認めざるを得ないっす。申し訳!


2003/07/13

 二週連続で、U原氏とJinさんで飯を食べてました。俺らは恋人かっつーの(笑)。二人とも踊る大捜査線に心が奪われいたようだった。ようだった

というか心は奪われていた、確実に。だって、Jinさん携帯の壁紙、「He's BACK」になってたし。実は、あんまり踊る大捜査線について知らない。

映画第一弾で知ったクチですんで。正直なところ、第二弾もそれほどみたいとは思ってないんすわ、こういったら色んな人に怒られそうだけど。

というかね、まず、TV版から見始めるべきかと思うんですわ。ということで、一から勉強しなおすぜ、大捜査線!

 昨日の日記の補い。犯行の計画性が浮上したそうで。でも、言いたい事はそれの有無に関わらないのでよろしく。


2003/07/12

 さて、「あの日」から1年経った。ここからイノセントカーニバルの第二ステージですわ。まぁ、これからもよろしく。

 テレビのワイドショーを見ていると、長崎の幼児殺人事件ばかりを取り上げている。ワイドショーの中の一つに、「立ちはだかる14歳のカベ」と

タイトルを打って、報道しているものがあった。一応、最初に言っておくけれど、俺はこの殺人事件を軽く見ている訳ではない。けれども、12歳の

「少年」に刑を与えることはあってはならないと思う。あるヒトは言うだろう「人が一人死んでいるんだぞ。殺しているんだぞ。」と。そんな事は分か

っている。だがしかし、この事件はサカキバラ事件やネオ麦茶のような「凶悪さ」は無い。また、果たして罪を受刑すべきなのはその「少年」だけ

なのだろうか。少し前に、オトナが幼稚化していると書いた。オトナとは、子供に社会を生きるものとして相応しい行動が取れるように育てる存在

である。そのオトナが幼稚化をすれば、子供たちが分別をつけられず、何か大罪を犯してしまうのも仕方ないだろう。仕方ないと言ってしまうのは

少し誤解がある。この事件に限らず、殺人事件や、社会的に重大な事件(警察や検察はこの事件に対してまだ一度も「凶悪」という言葉は使って

いない。凶悪な事件と銘打ったのはマスコミである)が起きた遠因を幾つも探らずして、法律を変えてしまって、対処したと思うような人間ばかり

のこの社会では仕方ないだろう。法律が作られようとも、果たして本当にこのような殺人は減るか、そして法律が作られるということは、12歳の

少年をあの無機質な法廷に放り込むことに同意しているに等しい。「人を殺したから、殺した本人も極刑」という議論と俺の言う「12歳の少年を

法という自らも理解し得ないもので裁かれる法廷に放り込まれるのはよくない」という議論のどちらが乾いている議論だろうか、今一度考えて

欲しい。道徳は法律になりうるが、法律が道徳を作り上げることは少ない。くわえて、被害者の感情的な発言をそのまま公共の電波に流すこと

がどれだけ、正しい判断を鈍らせるか考えたことはあるだろうか。つまり、透明な瞳と言っていいだろうマスコミのその言論が世論をそのように

単純化しているように思う。前述した「凶悪」という形容詞を打つだけで、社会的重大性の比重は歪んでいく。そしてマスコミの言論が正しいとは

限らない。教官が話していた話だが、あるワイドショーを見ていて、コメンテーターが他の殺人事件を見て「今は昔の時代より凶悪な事件が増え

ていますから」とコメントしたらしい。だがしかし、警視庁の正式な統計データでは凶悪事件と判断された事件は減少の一途を辿っている。コメン

テーターでさえ、浅い知識で言葉を発するのだ。さらに言うとすれば、義務教育課程にその少年が居たことを忘れてはならない。12歳で法廷に

立つということは、自らの責任能力がはっきりしているからである。しかしながら、12歳の自分自身に聞いてみたらいい、果たして本当に責任能力

というものがあったのかと。俺の意見ははっきりノーである。それどころか、今の日本のオトナさえ責任というものを理解していないように思えて

しまう。見渡せばわかるだろう、風俗のチラシを、週刊誌の中傷記事を。一国の首相さえ、某国の大統領さえ、無責任な発言を繰り返している。

そのチラシが、記事が、発言がどんな影響を、社会に、そして子供たちに与えるとも知らないで。子供の正しい倫理観、道徳観を歪ませている

のはどっちなのだ。決して子供が凶暴化したわけではない(この言説はオトナが子供に対して寛容さを無くした証拠だ。自然に凶暴化するわけ

がない)。社会が幼稚化したのだ。幼稚化した帰結がこの事件を起こした。なのに、何故あの少年だけが裁かれなければならないのか。感情

的発言を惜しげもなく放つ、被害者の母親は、そしてそれを補足無しで流すマスコミは、家族としてあの少年に道徳を教えなかった親は、教育と

してあの少年に自制を育まなかった義務教育と教師は、最後にこの事件を面白がって自宅や中学にかかる嫌がらせの電話の主や、感情をただ

ぶつけるだけの誹謗中傷は何故責任を問われないのか。最初にも言ったように、俺はこの事件を軽く見ている訳ではない。重くみているが故に

以上のようなことを考える。もし、本当に12歳まで法律が引き下げられるとしたら、この国は本当に幼稚な国だと思う。マスコミの発言を拝借する

のは少しためらうが、あの少年は普通の少年であったという。一部では、異常な性癖があったなどが書かれているが、そんなもの掘り出せば誰

だって一つや二つ持っている。そんな報道より、普通の少年ですら病み得るこの社会の病巣を問うてくれないか、マスコミよ。そして、自らにも

言い聞かせたいことだが、大人として子供が健全に育つ社会を作っていかなければならない。まとまらないが、そう思うよ。


2003/07/11

 ここへ。


2003/07/10

 で、歯の痛みはひいた、これで一安心だ。今日は、久し振りに経済原論の授業に出た(笑)。いやー、知ってる内容なもので、出る必要ないと

思ってるんですわ。実際今日の小テスト予習無しで5分で解けたし。前期試験の勉強はゼミの予習用に買った公務員テキストをちょちょいとやって

大丈夫だしょ。で、問題なのは、工業経済論。教授の持論に合わせなきゃならないのが辛い…んー、これも好成績を取るためだ。仕方あるめぇ。


2003/07/09

 ううう…歯が痛い…、奥歯を治療しに歯医者に行ったら、かなりひどい症状だったらしく、かなり削られた。そして今、痛い。鎮痛剤飲んだのに

痛い。蛇が口の中をのた打ち回るような、そんな感じ。あれ?全然伝わらない(笑)?まぁ、とにかく奥歯が痛いんです。

 さて、話は変わり、「2025年日本の構想」を読み終えた。けれど、あんまり面白くなかった。うちの教官の言う通り、有名な人間の文章を寄せ

集めたものは例に漏れず、面白くなかった。間宮先生や山口先生の文章はとても興味深かったけれど…ただ、1990年代における問題点が総

ざらえして記述されていたので、そういう意味ではものすごくタメになった本だった。で、次の本は何を読んでいるかというと、「共生の作法」を

書いた井上先生の本「現代の貧困」である(ちなみに7/25に最新著作が出るらしいので車川用に持っていこうかしら)。本当は、「共生の作法」の

続編である「他者への自由〜公共性の哲学としてのリベラリズム〜」を読みたかったのだけれど、図書館に無かったので、井上先生の別の本で

ある今作を借りることにした。まだ、「共生への冒険」に寄稿した文章を加筆、補筆した部分なので、電撃に打たれたような感銘は無いけれど

読んでいくのが楽しみだ。えっと、俺法学部だっけ(笑)?


2003/07/08

 MSNメッセンジャーのハンドルネームにあるように、最近POPで変なTシャツばかり買っている(昨日もSSTVのTシャツを頼んだ)。そればかりか

指輪やら、エスニック系の腕輪やら身に付けている。急に、何故そんな風になったのか。理由は簡単で、もともとそっち側の服装やファッションが

好きだったから。今までは自分がそんな服装をするのはナイだろうと思っていたのだけれども、自分の中に抱えていた問題が片付いていくうちに

それもいいのかなぁという気持がふつふつと湧いてきた。ちょうどその時に、CUNE(人物のほう)とCUNE(服のほう)のTシャツを買いに行くという

きっかけが訪れた訳なのだ。もっと遡るとするなら、バンプオブチキンの限定パーカー&リストバンドなのだけれど、加速してきたのはつい最近

なので、きっかけとしてはCUNEのほうが強いね。まぁ、そのおかげで下北沢が性に合う街だと気付くことも出来たし。やっぱり自分の中のセンス

やら、直観を疑うと俺の場合、いいことがないっつうのが証明されたわ。ということで自分に素直に捻くれず暮らしていこうと思います。


2003/07/07

 人生において嫌な思い出しかない七夕がやってきた。祈った甲斐があり、雨が降った(笑)。七夕は本当に嫌な思い出しかない。今年も嫌な事

があった。学食で飯を食ってたら、となりの知らぬ女二人組に「がっつきすぎ。」といわれ、今年一番の凶暴な目つきで睨んでしまった。二人組の

顔の引きつり具合を思い出すと、さすがにやりすぎな表情をしてしまったと思うが、がっつきすぎと言われたら誰だって腹が立つ。そして、その後

のワーキングルームのバイトでは、パソコン講習会の締め切り人数はとっくに超えているのに、受け付けているバイトが居た。さらに、集計票に

は「今後テキストを買わない人が増えそうです。これは経済学的にみて、非効率です。」とかかれており、その下にバイトのボス教官の怒りの

赤文字が。ったくよー、どーにかしてくれよー。今年も嫌なことが起きた七夕でしたとさ。


2003/07/06

 今日は同窓会の集まりがあり、その後いつもの三人、すなわち俺、U原氏、Jinさんで焼肉を食べに行った。結局また5時間居座って色んなこと

を話していた。そして、その5時間でわかったことはU原氏は意外とお酒が弱く、結構大変なことを口を滑らせていらっしゃいました。殿、お戯れが

過ぎますぞ(笑)。あと、U原氏は歴史マスターのようです。延々と京都のことやら、江戸幕府のことやら明智光秀やら説明してくれました。歴史の

面白さを再認識(あれだね、U原氏は面白く話を聞かせるのが上手いね)。いやー、この三人で飯を食べに行くと色んな意味で面白いね。俺は

相変わらず言葉を発してないんだけど(笑)。


2003/07/05

 何というか、知らぬ間にこの世の中になんてデリカシーの無い人間が増えたことか。自分は完璧に思慮に溢れた人間だなんてことを言う気は

さらさら無いけれど、一般人の俺から見ても、最近特に色んな場所でのマナーが悪すぎる。最近だって、うちの大学でタバコのポイ棄てでボヤ

が起きたくらいなのだ。そういう人間たちが決まって口にする言葉、それは「わからなかった」「きづかなかった」である。あまつさえ、わからない

気付かないことを盾に逆ギレしたりする(つうか実際何度かされた)。そのくせ、自分に不都合が起きると途端に騒ぎ出す。もういい加減にしろ

っつーの。周りに配慮することは当たり前だと思ってたんですが、最近では通用しないみたいですねー。精神年齢が上昇したのはよろしいの

ですが、説教オジサン化してる今日この頃(笑)。


2003/07/04

 Jinさんハッピーバースデイ。23歳ですかー、もうおっさんやん(笑)。まぁ、これを機に色んなものからインデペンデンスデイしてください。意味は

特に無いですけれど。

 さて、一年も半分過ぎて久しいけれど、一年前の「あの日」から過酷な人生を歩みつづけてきて、ここ半年でその辛さがピークを迎えた俺は

どのくらい成長しているのか、有名な精神年齢テストのとこで調べてみた。で、結果。軒並み成長しているみたいだ。平均して約10歳。うーん、

これはどうなんだ(笑)?


2003/07/03

 スネオヘアーという、ミュージシャンの曲を最近よく聴く。来週ヘイヘイヘイに出るらしいので、周りが騒ぎ始める前にちょっと言っておきた

かった(笑)。拝聴召されよ。まぁ、ついでなので音楽の話を少々。高校時代の卒業研究でミスチルを研究した。それは、俺にとってどんな意味を

持っていたかというと、ミスチルをはじめとした音楽者達を分析するのはもう止めようという決意のもとでその頃一番好きだったミスチルを研究

したのだ。音楽批評の本を読むと気持ち悪くなることが多い。どこかで拾ってきたような体裁の良いカッコ良い言葉、絶賛の嵐、音楽の本流が

まるで、評価者を含む「こちら側」にあって、今のヒットチャートはまるで偽者のように扱われている風潮。マジョリティー対マイノリティーによる選民

思想対決とは言い過ぎかもしれないが、そんな風に見えて仕方が無い。聴きたい音楽を聴けばいいのに、そんなに自分がその音楽をいかに

評価しているかって重要なのかな。今の音楽批評やら、音楽通を気取っている人間たちは所詮旗に群がっているようにしか見えない。それが

大きいか小さいかの違いだけで。如何せんマイノリティー側につくと、勘違いもし易いしね。前も書いたけど、「好き」=「いい」というわけでもない

し、「嫌い」=「悪い」わけでもないんだから、聴きたい音楽を聴いて暮らせばいいじゃん。最後に補っておくと、別に俺の言ってることは音楽批評

することが悪いって言ってんじゃないよ?ただ、今の音楽批評誌とかが嫌いなだけ。音楽分析家(とあえていおう)が嫌いなだけ。ただそれだけ。


2003/07/02

 んー、何と言うか、ここ2日で、嫁姑殺人事件とDV夫刺殺事件が起きてなんともやりきれない気分に陥っている。ていうかガキだ、ガキが結婚

すんなって話っすわ。結婚は人生の墓場かどうか、したことが無いので分からんけど(俺はしたいと思ってる)、悪い意味で結婚を重く捉えすぎ。

そういう意味では離婚は救いなのかもしれないが、まずその前提条件として「生涯の伴侶となる人をちゃんと見据えなさい」ということだろう。

結婚は勢いでするものだと思う人は結構、そうしてください。その勢いで離婚調停も上手くすすめてください。俺は、もっと時間をかけて人を見て

いくべきだろうと思う、余りにも正論だけれど。それよりも、殺すほど、殴るほど憎いなら別れれば良いじゃん。別れられない理由があるならさ、

「オトナ」なんだからその感情抑えろよ、とまぁ、思うわけです。「所詮分かり合えない他人なのだから」という諦めもどうぞして下さい。だったら、

結婚すんな。付き合うな。分かり合うために傍に居る訳じゃないでしょう?傍に居たいから傍に居る訳でしょう?傍に居て欲しいなら自ずと自分

が取るべき態度は決まると思うんだが、最近の「オトナ」はようわかりませんな。何故、こんな話をするかって?月曜日のワーキングルームの

バイトで日記帳が落ちており誰のものか確かめるために広げたら「4.24 告白→記念日」と書いてあったから。些細なことで楽しく生きていける

のにと、まぁこんなオチで(笑)。


2003/07/01

 激眠かったため、今まで仮眠をとり、少し遅めの更新になった、ごめんちゃい。今日は暇だったので、教官から借りた本を返しがてら、研究室に

遊びに行った。結構色んな話をして、27時間テレビの鶴瓶にはじまり、t.A.T.uやらパイレーツがやっと脱いだやらというダメな話から、最近買った

本の著者がバリバリの新古典派(←経済学用語)で、失われた10年について物凄くダメな分析を行なってるけど、理論的に間違ってないと言い

張り、かつアメリカ基準で評価されてるんだという専門的な話まで幅広かった。そいで、俺が社会政策の教官がダメだとこき下ろしたら、うちの

教官から返ってきた一言。「あの人とそりの合う人はこの世に居ない。ていうか社会政策はマル経だよ。」ヒロアキ超ショック!マル経だなんて

全然知らなかったわ!でも単位が危ないので、履修を放棄できない哀しさ。真面目にやるべきだった、色んな意味で(笑)。最後に自分の進路

である大学院に対して勉強したい分野について少しだけ、教授を願ったら「いやー、正直なところ学際的研究で成功してる例を見たことが無い

から、俺もあんまり乗らないタイプなんだよねぇ。学際的研究が悪いとは全く思わないけれど、何かひとつ専門を持ってからの話だよな」と言わ

れた。ご尤も。つーことで、まずは経済学を完璧にしたく思うわけですわ。


2003/06/30

 いやー、焦った。今日、朝起きたら携帯が仮死状態になってました。液晶は光るものの、画面自体が表示されないというかなりヤバイ状態。

で、今帰ってきて電源入れなおしたら直った。バイト先のデジタルセットトップボックスを思い出した(笑)。

 さて、今日で一年の半分が終わり、そして、毎日更新6ヶ月目に突入だ。さらに、眼鏡を購入し、眼鏡人間としての人生もスタート。今日は色んな

意味で区切りの日なのです。いやまぁ、それだけなんだけど。


2003/06/29

 昨日にも書いたとおり今日はラジオの収録日だった。前回のゲストだったはずのU原氏はいつの間にかパーソナリティーになっており、改めて

ゲストを呼ぶことになった、ていうか来た(笑)。それは誰かはJinさんのホームページでラジオを聞いてみてください。俺の喋りがますます減った。

 話は変わるが、昨日「HERO」を久し振りに聞いた。あの曲は家族について歌っている曲で、購入当初はそこまで感動しなかったのだけれど、

「クレヨンしんちゃん〜オトナ帝国の逆襲〜」を見終わった俺は、曲を聴いてるうちにクレヨンしんちゃんの幾つかのシーンとうちの家族のことが

思い出されて、嗚咽とともに号泣してしまった。特に、2番のサビの歌詞「人生をフルコースで深く味わうための幾つものスパイスが誰もに用意

されていて 時には苦かったり渋く思うこともあるだろう そして最後のデザートを笑って食べる君の側に僕は居たい」というところが特に感動した。

「でも最後のデザートを〜」ではなくて「そして最後の〜」なのだ。そこだ。これは妥協や受容という陳腐な言葉で表せないくらい素晴らしい感情

だと思う。そしてその歌詞に合わせるようにうちの親父がまだ就学してないくらい小さい一番上の兄貴がデザートを食べている姿を笑ってみて

いるシーンが思い浮かんで一層涙が出た。そんなことを思いつつ泣きながら寝ていたら、27時間テレビの存在に今日気付いたという話(笑)。


2003/06/28

 うーん、今日は何にも無さ過ぎて書くことが無い。あぁ、ごめん、あった。また占いをした(笑)。「ガンダム占い」と「エヴァンゲリオン占い」に挑戦。

で結果は「セイラ・マス(ガンダム)」と「加持リョウジ(エヴァンゲリオン)」でしたとさ。これまた、イイカンジに当たってるんだわ(笑)。つうことで今日

はこれにてお開き!明日はラジオ収録です。


2003/06/27

 うひぇー!ちょっと!社会政策レポートでてるってどういうこと?そして、授業に出てたやつしかレポート用紙もらえないってどういうこと?個人の

事情も考えてくれ。ていうかお前、そんなに厳しくやるほど授業上手くねえし、時代に逆行したこと言ってるじゃねえかよ。という不満爆発。

 さて、今日は、王丸君壮行ビリヤード大会に参加してきました。集合時間の20:00まで暇だったので、女性の買い物に付き合うことに。あれ

だね、相変わらず女の子は買い物が長いね。すぐに終わるかなーとボンヤリついていってたら集合時間に遅刻しました。参った。まぁ、VIVREに

は色んなお店があるんだなぁと思いました。俺が着ているCUNEApparelのTシャツとかもあったし。そんなこんなありつつ、ビリヤード開始。といき

たいところだが、さすが金曜日。混んでいたので、台が空くまでの間、みんなでトランプをすることに。結構盛り上がった(笑)。で、肝心のビリヤード

なんですが、ともき王朝勃興かよ!?くらい、ともきくんが絶好調でした。俺もそれなりにいい見せ場があったんですけど、最後のエイトボールで指定

したポケットと別のポケットに八番を入れてしまい敢無く玉砕。その後、みんなでラーメンを食って雑談しつつ解散。王丸君は半年後に帰ってくる

そうです。ファイト!


2003/06/26

 最近だらけてる。勉強はしてるが、講義には出ていないというなんとも変な状況に陥っている。講義に出る価値が無いという訳でなく、ただ単に

興味のある分野を勉強していると、講義に出る時間が無くなるだけの話なんだけれど、そろそろテストも近いので(しかしながら1ヶ月前(笑))、

出席しなきゃなあと思う今日この頃。で、今日はワーキングルームのバイトだった。相変わらず人っ子一人部屋には来ず、しっかりと読書に勤しむ

ことが出来た。やっぱりねぇ、間宮陽介先生は凄い。と同時に論戦を仕掛けたくなった。なまじ色んなこと勉強したもんだから、俺なりの公共論が

ある訳で。まぁ、すぐにねじ伏せられるだろうけど…でも、挑むことによってまた新たな高みに上りたい気持ちもあるんだな。


2003/06/25

 「共生の作法」が読み終わったので、また別の本を読み始めた。なんだか、この日記が読書評の日記になりつつあるが、まぁ気にせず御覧あれ。

で、その本の名前は「2025年日本の構想」という本。2025年といったら、俺は44歳になっている(俺の予想としては、相変わらずこのサイトは続け

ているとみた(笑))。人生が多分最も面白い時期なんじゃないかなぁと思う。その時期の日本はどのようになっているか、また、どのように進む

べきかというようなことが書いてある本らしい。この本を読むきっかけは、法学もある程度たしなんだので、久し振りに経済学の間宮陽介先生の

新しい本が読みたいなと思い、Amazonで検索して出てきたからなのだ(Amazonで検索して大学図書館で借りるのが俺の常套手段。Amazonは

レビューも載っているので、選びやすい。ちなみに公共哲学全10巻セットはボロクソに言われていた(笑))。流れとしては、「共生への冒険」に

近いものだと思う。今、日本が抱えている問題について先端の研究者達が分析した最新の著作だろう、おそらく。つーか、あれだ。俺は一体

どこに向かおうとしているのだろうか(笑)。何か、こう、追い込まれるよーに本読みすぎ。菅原道真あたりに取り憑かれちゃったのかしら。謎。


2003/06/24

 とうとう、法哲学3部作の最後である「共生の作法−会話としての正義−」を読み終えた。本当に読み終えたという感じで、法学用語倫理学用語

のオンパレードで難しく、殆ど理解できなかった。それでも、最後の章はしっかり読み込んでそこだけは何とか理解することが出来た。正義とは

何か。それは「善き生」にとらわれず、中立的な存在のものである。言うなれば、多数による少数の圧殺、逆に少数の寡占の禁止を謳う。この

項目は「善き生」とやらには関係無いように見える。でも、本当にそうだろうか。俺たちは何気なく多数決を使い「善い」選択肢として選び、自分

たちではないけれど、ヤバい宗教の人間は選民として、多数者殺戮を「善き生」とする。これは決して、現実離れした話ではない。この本には

正義の実現方法については書いてなかったけれど(ていうか書けないだろう)、その一端を担える方法論として「会話」というものを提示していた。

「会話」とは、それは「目的の無い」言葉のキャッチボールである。ただ、個人と個人とが、まるで暇つぶしのように行なうアレだ。「説得」の要素も

「講義」の要素も無い、アレだ。最近、「会話」をしていますか?ともし、俺が質問したなら、君はイエスとすぐに答えられるだろうか。筆者の言う

ように、最近「会話」が減り、目的に沿った「説得」や「講義」や「会議」ばかりが増えている気がする。そして、昔の社説にも書いたけれど、言葉の

劇場性の強さにも筆者は気を払っていた(筆者の言葉を借りればキーワードといえるもの)。俺の例でいえば、「鬱」という言葉、筆者の例で言えば

「ムカツク」というふうだ。この「会話」が何故「正義」に接近できるか。それは「会話」における前提にあるという。それぞれが、同じ目線に立とうと

する姿勢、それこそが「会話」の大前提であり、「正義」の前提であるとも出来る。「説得」や「講義」や「会議」というものは、言葉のやり取りに重点

を置かず、その先にある目的を追求するためのプロセスに過ぎない。そうではなく、「会話」を行い、言葉のやり取りに重点を置いた行動を行なう

べきで、目的が排除されたその時空間でお互いを同じ目線で見てこそ、何か、新しいものに出会えるのではないのだろうか。この本が出て15年

強経った今、勿論こんなものは達成されてもおらず、相変わらず「少数派アメリカ」が寡頭政治を行って、「多数による選択」により、有事法制が

可決されている、この世の中だ。なかなか、もどかしい気分だ。最後に、俺も著者と同じようにオークショットの言葉を借りるとします。

「あてにならない充足よりも欲求を。不確実な成果よりも冒険を。宿よりも道中を。目的を達成するための手段についての熟慮よりも歩きながら

の会話を。目的地へのつき方についての指図よりも道路規則を。」つまりは、まだまだ問題は山積みってことよ。


2003/06/23

 昨日の出来事の続き。実は、昨日U原氏とデートしてました(笑)。某Jinさんに一緒に飯を食べないかという電話をしたのに、断られ結局二人で

飯を食べに行くことに。もう、お世話になることに無いと思っていたU原タクシー(個人)に乗り、飯を食べる前にシァルに不具合の出てるFOMA

携帯を変えに行く。結構店に待たされたのだが、その間設置してあるテレビで千と千尋の神隠しがやっていたので退屈はしなかった。ジブリが

嫌いな俺は、勿論「千と〜」は見たことが無く、とりあえずたしなみとして見る事が出来てよかった、ジブリ嫌いは相変わらずだけれど(笑)。携帯

も交換し終え、飯を食べる場所へ移動。無論即決でパスタに決まったのだが、日曜の夜ということもあってかどうかわからないけど、どこも混雑。

そこで、U原氏の提案により我が家に向かう途中の国道467号沿いの「石釜ピザヒッコリー」に変更。実は国道467号はマイナーなレストランが

多い。町田〜藤沢を繋ぐラインなので、車を持ってる人は湘南の海のドライブがてら、一風変わったレストランに行ってみてはどうだろうか?

さて、「石釜〜」の味はどうだったかというと、激ウマ。桜ヶ丘にしてはかなり美味い店だと思う。U原氏も途中でデモンストレーションのように料理

されていたチーズをかき混ぜるのをみて「あれはやばい。また絶対来よう。」と仰っていたので、お奨めの一店になるだろう(それよりも、U原氏の

「でもここまで来るのは、車じゃないとキツいなぁ」という呟きのほうが俺は気になった(笑))。Jinさん来れば良かったのに…


2003/06/22

 事件は俺が朝、シャワーを浴びている時に起こった。外の方で物々しい音がしたので、ちょっと洗面所を見てみると、通路から一本手が地面に

横たわっていた。俺、顔面蒼白。素っ裸で浴室から出て駆けつけると兄貴が「寝ぼけてぶっ倒れた。頭いてぇ」といって起き上がった。大丈夫かよ

と顔で笑っていたものの、浴室に戻って緊張が解け、少し泣いた。いつも喧嘩ばかりで、時に要らないくらいのことを思ってしまう兄貴達だけれど

平穏無事に暮らしていて欲しいものだ。こう書くとちょっと大げさかもな。「クレヨンしんちゃん〜オトナ帝国の逆襲〜」でしんちゃんが言っていた

「一緒に居たいから…喧嘩しても、頭に来ても、それでも一緒に居たいから…」というセリフにちょっと近いかもしれない。家族ってそんなもんだと

思う。血のつながりもあるかもしれないけど(ただ、うちの家系の事情だとこの条件て排除されるんだけどね)、やっぱり永年共に暮らしてきて、

苦楽をともにしているしね。家族がこのページを見てないからいえるけど、俺、この家族でよかったわ。出来れば、俺もこんな家族を持ちてぇな。

せっかちな親父と、のんびりおおらか過ぎるお袋、ダメ息子ども。最高だ。俺の家族最高(笑)。何で、こんな風になっているかというと、前述の

映画を見たからです(笑)。CUNEよ、お前は必須で見ろ。


2003/06/21

 昨日のボウリングのせいで腕が張ってまともにバイト先の日報がかけなかった。今も、このキーボードが酷く打ちづらい(笑)。最近本を読んで

いる時間が多く、ビリヤードやらCDショップ巡りやらに行っていない。多分、この知恵熱が一段落するまでは行かないかもしれない。そうそう、

そろそろ「共生の作法」が読み終わる。が、しかし全然理解できていない。そりゃ、東大法学部生が1年かけてテキストとして使う本なのだから、

学部生の俺が2週間ほどで読み終えたとしても、理解が出来る訳が無い。でも、要所要所のエッセンスは理解できていて、それがまた、新たな

知恵熱へと俺をいざなってくれる。今年の読書ペースは異常だ。一体俺に何があったんだろう(他人事かよ(笑))?果たして知恵熱が一段落

する日が来るのだろうか。こなくてもいいけど、ビリヤードには行きたいですばい。


2003/06/20

 今日は、車川メンバーの福ちゃんと知紀くんとナツコさんで、同じく車川メンバーのあかりちゃんがバイトをしている中華街の華正楼に行った。

あれだ、人生で初めてホンモノの中華料理を食べた。エビチリとか、皮付き豚肉とかフカヒレスープとかマジで美味かった。今度行く時はフカヒレ

の姿煮を食べるらしい。でも一皿少なくとも4000円するんですってよ、高い…。デザートを食べるあたりで、ウメっちと合流し、食後ボウリングに

行くことに。横浜近辺は金曜の夜ということもあり、どこも満員。仕方なくドライブついでに町田まで行って、町田のボウリングセンターに落ち着いた。

ラブホ街のど真ん中に立地するボウリングセンターに疑問を抱きつつもゲーム開始。相変わらず、ボウリングがダメだった。なんかね、中学の

時よりも体がでかくなったせいか、歩幅が上手く合わないんだよね。あと、眼も悪くなってるし…という言い訳をしてみたり(笑)。最後はいつも通り

梅原タクシー(笑)に送ってもらったのだが、実は27日をもって梅原タクシーは閉業するとのこと(篠田先生から車を借りており、篠田先生が米国

から帰ってきたからだってさ)。幾多の伝説を見守ってきた梅原タクシー、しばしの間さようなら。


2003/06/19

 たった1mgの思いやりで、この世界が上手くいくはずなのです。人はなぜか、その1mgの思いやりを惜しむから、争いつづけてしまうのです。今

目の前に広がる、紛争という大きな規模から、人間関係の不和という小さな規模まで、人はそのたった1mgの思いやりを惜しんだが故に争って。

思いやりだけでは、世界など救えません、それは当たり前です。僕が、前提とするのは、今この世界の状況です。これほど、世界はいい意味で

狭くなって、人種や宗教、慣習や伝統を超えて、分かり合うことが出来る条件が揃ったのに、最後の物凄く薄く、そして頑丈な壁がお互いの表情

を曇らせているように思えます。何故、人はその1mgを惜しむのか、僕には分かりません。モノやカネのように有限ではなく、気持ちには限りが

無いはずなのに、それを惜しむのは何故か。毎度毎度、僕はいつも綺麗事を並べてしまいます。でも、僕は思うのです。綺麗事はそのまま非現実

であるのかと。それ以前に、現実とは何かと。現実とは、可能な選択肢の集合を示すのですか。それとも、何かの平均値をとったものなのですか。

現実ではないということは何を示すのでしょうか。僕は現実を疑っている訳ではありません。現実を鵜呑みにするのを辞めているだけです。現実

の中にはまだまだ、解決すべき、そして解決できる問題はあります。それを解く為に、綺麗事のレベルから思考しているに過ぎないのです。人々

は分かり合えない、永遠に争いを抱えて生きていくという諦観は正直言って、僕には耐えられません。ホントに綺麗事です、でもね、分かり合おう

とする努力位したっていいじゃないですか。争いを解決しようと苦悩するくらいいいじゃないですか。僕は何度でも言います。

何のための新世紀かと。

 というようなことをベッカムの電撃移籍で思いました(笑)。


2003/06/18

 またもや、後輩のサイトのリンクコメントにネガティヴと書かれてしまったMommyです(笑)。そんなにネガティヴなんかなー…個人的にはかなり

ポジティヴになったと思ってるんですけどねぇ、オモテには出てないのかな?確かに、人生の分岐点を迎えたからといって、このサイトの日記の

テンションは変わってないように見えるけれど、内面的にはとても変化があったんだよ。それにね、俺の尊敬するチャップリンが言っていたけれど

「真のシリアスさを持っていなければ、喜劇を作ることも演じることも楽しむことも出来やしないだろう」。俺はこの意見に激しく賛同します。人生

はどんなに辛かろうとも、苦しかろうとも、喜劇なのです、俺にとってね。だからこそ、シリアスに考えなければいけない。笑いつづけて生きていける

なんてのは大嘘で人生は苦難の連続、そりゃ笑顔の曇る時もある。でも、そのシリアスな状況と真摯に向き合って、解決していくからこそ、笑い

や喜びは映えるものになっていくんだろうと思う。そのシリアスさが如実に出てしまうのが、このサイトのこの日記という話、たったそれだけ。

…ん?つうことは、やはりこの日記はネガティヴなのか(笑)?ポジティヴを証明しようとしてかえってネガティヴさを主張してしまいましたとさ。

終わり。


2003/06/17

 近頃、被害者意識を無駄に持っている人が増えたような気がする。別に、北朝鮮のあの話だけではなくて、色んな事について言えると思う。

例えば、何回か日記で書いている自殺だって、ようよう考えてみれば人生の被害者みたいな感じに思っていた部分があるに違いない。被害者で

あるというのは、自らの権利やら何やらが侵害された状態を指すはずなのに、被害者という特権を付与されたように思っている人が少なくない。

これはかなりの危うさをもっていると、俺は思う。被害者でも加害者になりうる、すなわち、自らが何かを侵害されている状態でも、他の誰かの

何かを侵害しないという保証は無いと思う。被害者であっても、加害者になり得る。俺は被害者を軽く見ているわけじゃなくて、被害者とか被害

とかはどういう意味なのかということを改めて考えて欲しいのだ。もし、努力を怠ったが故に人生のチャンスを取り逃し、不毛の境遇に居たと

する。それは被害者でも何でも無い。なのに世の中にはその状況を被害者と勘違いする人間が明らかに増えたと思う。人生の被害者であると

勘違いして、「被害を受けていない」人々を羨み、あまつさえ足を引っ張ろうとする。被害者という状況を権利と間違えているのだから、それは

許容される範囲だと思われている節がある。それは間違いだ。飽くまでも、許容されるのは、侵害された状態の回復であるわけで、誰かの何か

を侵害する権利を与えられている訳ではない。間違った被害者意識が、自分の世界に対する多くのイマジネーションを麻痺させる。そこが、

非常に危ういと感じる所以なのです。


2003/06/16

 今日は発見と驚きばかりの日だった。前の日記にも書いたとおり、今日は「CUNE Apparel」でTシャツを買う為に下北沢に行った。最も交通費を

安く済ませるために高座渋谷→横浜→渋谷→下北沢という結構変なルートを使ってみたのだが、久し振りに東大駒場前を通り過ぎた。そういえば

前回、下北沢に来たのは東大受験終了後だったことを思い出して、今の自分にとって東大受験とは一体なんだったのかと、少し感慨に耽って

しまった。そうそう、ちょうど東大駒場前に電車が着く時に、線路沿いを平行して走っていた学生が居た。俺の気持ちの中では絶対間に合わない

だろうと思い、感慨に耽っているところに間に合って乗車してきたので、ちょっとビックリした。これが今日の驚きと発見の一つ目。

 それで、二つ目は、どうやらやっぱり俺は方向音痴だろうということだ。京王井の頭線口ルートと小田急線ルートでCUNEに行く道程は異なる。

俺は勿論東大駒場前を通るくらいだから井の頭ルートを使ったのだけれど、やはり迷い、気が付いたら小田急線ルートでCUNEに向かっている

事に気付いてしまった。そんな大チョンボをおかしつつ何とか店に辿り着いて、「コロスV2.1(赤)」と「カオスタクシー(チャコール)」と「ユミちゃん

(指輪)」を購入。薬指が11号だということを既に調査済みだったので、早速着けてみるが、はまらない。何故だ?と思いつつ、今度は左手薬指

に装着。いやん、ピッタリ♪Tシャツが買えて嬉しい気持ちから、一気に哀しい気持ちに転落。でも、どうしてもこの指輪は着けたいので彼女は

居ないけど着けることにする。哀しいけど。哀しいけどね。そんな哀しい気分でトボトボ小田急線下北沢駅に向かっている途中、ふと何かを感じ

横を見ると、テラスに吹越満(出演ドラマ:殴る女・明日があるさetc)が子供を連れて座っていた。超ビックリ。ビックリしすぎて生唾を飲んで

しまった。都会には芸能人がいるもんだと再確認(田舎っぺ丸出し)。今日は色んな意味で、有意義な日だった(笑)。


2003/06/15

 もはや、口に出すのも嫌なのだけれども、アメリカがまたやってくれました。イスラエルパレスチナ情勢が緊迫してるのに、選ぶ政策は次の選挙

に向けてのものだけですか。ていうかその程度の政策やら和平仲介やらイラク侵略なら何一つ正義の名の下に行なわれて欲しくないのだが。

あなたがたが好きな言葉かもしれないが、そう簡単に振り回せるような言葉ではないのだ。逆にあなたがたが創り出した改竄された「正義」と

「自由への解放」というものについて、自己矛盾していることに気付いているのだろうか。つまりは、あなたがたが盾として剣としてきた神の名に

おいてのイラク侵略。それをイラクに当てはめたとしても成り立つし、あなたがたが攻め込んだ「正当」な理由さえ危うくなる。ちなみに独裁国家で

あろうが、民主主義国家であろうが関係は無い。もしかしたら、その概念も改竄されているものかも知れないのだから。マイケルムーアの言葉を

思い出す。「でっちあげの選挙で当選したでっちあげの大統領」。そして、言葉をひとつたすならば「でっちあげの国」であるだろう。


2003/06/14

 給料日だ!!超ウキウキ!とか思ってたら、バイト先でインターネット接続障害発生。テンパる。お客3人ほどにキレられる。そして本日の残業

は1時間30分。う〜ん疲れた。これで後、日曜日を乗り切れば、下北沢のCUNEに行ってイカすTシャツを買えるぞ、頑張れ俺、負けるな俺。ただ

バイト先のタカNさんに「ん〜モミちゃん、明日はコキ使ってあげるからねー」と宣告され済なので、今からちょっとブルー。しかも、接続障害は完全

に収まってるわけじゃないからなぁ…恐い。明日が来るのが恐い(笑)。それよりも、アレだね。もう6月も半ばなのね。


2003/06/13

 何故だ。何故人は、自殺を選ぶ?人生において、死は救済であることなどありえない。死は終末であるが、けして救済を示しうるほどの荘厳さ

を持ち得ない。窮地から起死回生の可能性模索の怠惰、もしくはルーチンワークの中に完全にはめ込まれた日常がその死を選択する理由

であるならば、あまりにも瑣末過ぎる。悲劇など美談ではない。自らで悲劇を演出することなど美談であるはずがない。絶望であるということは

可能性の断絶を意味しない。もはや、選択肢を限りなく収束させるだけの、救済にすらなり得る状況であると俺は断言する。決して、生の状態が

素晴らしいという事を言いたい訳ではない。死は選択に値するほどの価値を持ち得ないものなのだ。そして、「生きる」ということは、何か一つの

解答を求めるために存在しているわけではない。ソクラテスの言葉を借りるならば、「いかによくいきるか」を問うことであり、これは解答を示す

行為よりも、「問い」として真の価値を持つものなのである。すなわち、「生きる」という状態を満たし、「いかによくいきるか」という問いを持つ時点で

あらゆる人生という解答において、すべての解に寛容であることを示しているのだ(「共生の作法」を読み最初に感銘を受けた1節の応用)。ゆえに、

俺はどれほど厭世的であっても、悲観的であっても、心の病に蝕まれようとも毎日を生きてきた。それは、無意識にして、「生きる(というよりも

生き延びる)」ということを前提にしてきたことに他ならない。繰り返すようだが、それは「生きる」という状態を満たしているからこそ、可能なので

あり、死を対置した時点でその苦悩はそれこそ意味の無い産物になってしまう。死は救済ではない。単なる無効装置である。だから、頼む。

見知らぬ人間と共に死を選択しないでくれ。あなたが思っている以上に、大切に思っている人が、世界が、仲間がいる。頼む、気付いてくれ…


2003/06/12

 後輩のとある掲示板にて、「キャラミル研究所」というリンクが貼ってあった。多くの人がご存知であろう「ツキアイゲノム」がリニューアルされ、

オモテゲノムとウラゲノムが登場し、前よりバリエーションが増えていた。元来、性格上こういう診断系テストに目が無い俺は早速トライ。以下の

ような結果が出た。オモテゲノム「HOT」、ウラゲノム「ピュア」・「インスペクター」・「フィーリング」。結構当たってると思うんですが、いかがでしょう。

でも、ウラゲノムに関しては結構矛盾した項目が並んでいたりするので、「?」と思ったりするが、一度くらい遊びで試してみてはどうだろうか。

 プロフィールを見てもらって分かるように、本当にこういう診断系テストが好きだ。それは別に自分がどんな性格なのか分からないからやるわけ

ではなくて、客観的データを見ることによって、自分を再確認する意味をこめてやっているのだ。皆も知っているとおり、無駄に迷路に迷い込んで

いく性格ゆえ、自分に対して、遊びで向き合うという行為は俺にとってとても有意義であり、心遍歴を辿る上での息抜きになる。信じる、信じない

というレベルの話ではなく、面白い、面白くないというレベルで見ているので、そこは汲み取っていただきたい。個人的には、永遠に自分の性格

について、外郭を描けないと思う。哲学的で、叙情的な話かもしれないが、一分前の自分だって本当に自分なのだろうかと思ってしまうときもある。

外見は同じくしても、中身まで一緒であるという確証は、客観的にも、主観的にも無い。自分に対して、そうなのだから、ましてや他人を理解する

ということは相当難しいことなのだ(もっとも、人間というやつは出会う人によって「心の外見」を変えることが出来るけれど)。ある程度の一貫性は

保証できるとして、完璧な相似の性格を常に保持することは不可能だ。だって、世界は変わりつづけているんだから。ゆえに、人間というものは

良くも悪くも変わっていける生き物なのだ。さて、話の本筋はなんだったっけ(笑)?そう、今日のカレーは酷くからかった。


2003/06/11

 大久保に感動。アグレッシブなフォワードを久し振りに見た気がする。

 さて、我が家ではとっても不可解な事件がおきている。俺が確かめる時は、ほとんどの場合、ポットのお湯が空になっており、いつも俺がその

お湯を足す役割なるのだ。母親などに注意するも「誰も使ってない、あなたしか使わないわよ。」と言われる。不思議だ。で、お母さん。目の前の

お茶は何ですか?そして、お兄さん、あなたの手許のコーヒーカップには何が入っていらっしゃるんでしょうか?今日も今日とて三男の苦難は続く

のであった。


2003/06/10

 火曜日はヘボい講義が多い。というよりも、ヘボい講義しかない。だから、一番行くのがダルい日なのだ。よく言われることなんだけど、研究者

として優秀でも教えるのが下手な先生てのがいる。まぁ、まさにそんな感じな先生の講義ばかりで、とくにひどい工業経済論はテキスト読んで

終わり。すばらしくナメた講義を展開してると思うかもしれないけど、その先生の本は名著なんだそうだ。かといって、それを著者が解説するだけ

のものを講義と呼んでいいものなのか、少し考えてしまう。少なからず、一時間かけて大学に通っている身としてはそんな講義では困る。もっと

世界を広げるきっかけを作ってもらえるようなそんな講義を期待したい。


2003/06/09

 「共生への冒険(280ページ)」を読み終えた。さすが、一般向けだけあって読みやすかったせいもあり、数えて4日で読破した。俺の読解力を

なめないように(笑)。この本の感想としてあるのは、経済学の疑念を憶えた本と同様に人生に大きな影響を与えてくれる本だということだ。人生

を生きる上で、そう簡単にそのように言える本に出会うことは少ないのかもしれない。でも、そう思ってしまったから仕方ない。正直、何回か涙腺

が緩んだ、専門書なのに(笑)。タイトルにもあるように、冒険へいざなう本であって、シリアスではあるが、決して悲観的な意味ではない冒険へ

未来へと光明を見ることが出来る本だった。でも、書かれたのは1992年。この後、失われた10年と呼ばれる時代や、本書に登場した神戸の理想

的なまちづくりを体現している真野地区は大震災に見舞われ、この本が射程とした未来はそう簡単なものではなかったと思う。しかし、それはこの

本の価値が減耗し、理想だけを述べた書であることを意味しない。なぜなら、これは10年という短い期間だけを射程にした本ではなく、新世紀をも

射程した本だといえるからだ。92年時点で希望的観測は容易くて、03年時点で希望的観測が困難であるとは必ずしもいえないし、絶対に言い

たく無い。そして、その意思に確信を得るために、とうとう法哲学3部作を完結させる「共生の作法」へ突入します。1986年に書かれ、いまだに

名著として、また教科書として読まれ続けている本らしい。この俺の気持ちを体現するように、「共生の作法」の最初のページにこうかかれている。

「やがて来る世紀の転換点に青春を迎えるすべてのこどもたちに」


2003/06/08

 先ず最初に、言い訳がましいかもしれないけど、俺が寝るまでがその日だから、日付が変わってちょっと遅れても許してよ(笑)。

 今日は同窓会総会だった。ウチの高校はキャラの濃い人が多く、同窓会総会はまるでその歴代の濃いキャラ総決算のようだった。やはり、今年

も梨羽がやってくれた(笑)。俺たち3期生が知らなかった、ハンド部というお笑いユニットや、ふろやなどのグレートなミュージシャン、もしくは

うちの幹事で超絶歌唱力を持つMアイやら、横浜市大医学部に通う4期による医療ミスコントやら物凄く面白かった(個人的都合により約一名

省いております(苦笑))。ウチの同窓会総会を見るたびに思う、あぁ、やっぱり総合高校ってすごいんだな。所詮、井の中の蛙であることに変わり

ない。でも、前に言ったとおり、誰もその蛙が大海で通用しなかったなんていってない。それに別に大海で通用しようがしまいが別にどうでもいい

のだ。何かを見て、凄いと思ったり、感心したりする心、それ自体が大切なのではないだろうか。現実を見ることは大切なのかもしれない。だが、

現実を作り上げているものは何か。人間であり、心であるわけで、それをおおらかに持つこと、神奈川総合の人たちがその事を実践できている

ことを、俺は称賛したい。そして、その心を他の皆が持てれば、もっと世の中は愉しくなるんじゃないかなぁと思う今日この頃。

 で、愉しい気分のうちに打ち上げに参加したら、京都の人の報告によりサッカー見忘れたことに気付いてショック(笑)。1-4て。しかもその1点

が秋田て。そしてマンU、ロナウジーニョて。


2003/06/07

 ひっさしぶりに特筆すべきような出来事の無い日だ。相変わらずのテクニカルサポートのバイトをこなした。ココ最近、苦悩やら何やらあるものの

毎日が愉しい。まー、今日はそんなとこやね。


2003/06/06

 有事法制が可決したそうで。使い古された議論であることを承知して書くけど、何か起きた時の為の法を考えるよりも、何か起こることを抑止

する法やら何やらに力を注いだほうがいいと思うのだが。そもそも、そんな危うい外交をやっているわけではあるまい。確かに、どう頑張っても

分かり合えそうも無い国もあるかもしれない。でも、その定義こそが対話が成り立たない原因なのではないだろうか。分かり合うためには如何なる

手段を用いればいいのか、暗中模索とも思える外交、俺にはその作業を怠っているようにしか見えない。幾多の過ちを越え、イスラエルパレスチナ

は再度歩み寄った。その態度を見て何故、敵を想定するのか。別に宗教のように隣人愛を持てだとかを言ってるわけじゃない。争いを仮定

することはもう「時代遅れ」だということを言いたい。最早、この世の中に「勝ち取る」ものなんて無いんだから、あとは「実現させる」ものだけばかり

なんだよ。よく分からんが、あんな中途半端な法制に反対。


2003/06/05

 「法哲学」を読破し、今は「共生への冒険」を読んでいる(「共生の作法」を一般向けに書き直した本らしい。だからこっちから読むことにした)。

「共生への冒険」を昨日の日記をアップした後、読み始めたのだが、昨日の日記と殆ど同じ事が前書きに書いてあってビックリ!とうとう俺も

知識人か(笑)。ごめんなさい、嘘です。今日は、ゼミの練習問題がイマイチ分からんので教官のところへ行って説明を聞いたが、やはりまだ

咀嚼出来てない…むぅ、恐るべしミクロ経済学。そうそう、相変わらず経済学への疑念は消えない…というよりも、俺の中で目指す分野はどうやら

経済学では無いような気が真実味を帯びてきた。とにかく、自分の「知」を広げて確かめるしかない。うむ。


2003/06/04

 とある政治家が言っていた。「皆それなりに少数派なんですよ」と。常日頃思っている事を政治家の口から聞くとは思わなんだ。そう、誰もは

永遠に多数派に成り得ることなんて出来やしないのだ。だからこそ、お互いの「少数派」の意見を聞いて、分かり合ったり、何かを共有すること

に価値があるんだと思う、それがどんなに馬鹿げたものでさえ。永遠に多数派に成り得ないという事は、もっと思索の糸を手繰っていけば、

自分だけでなく、他人にも当てはまることであって、それはつまり、永遠に君は君なのであって、他の誰かという代わりは存在しないという事

なのかも知れない。自分の気持ちは永遠に自分しかわからないからこそ、他人に伝えたいと思うし、理解もしてもらいたい。また逆に、他人の

気持ちを理解してやりたいとも思う。さらに言うとすれば、永遠に少数派であるがゆえに、自分の考えに奢ってはならないと毎日感じている。

自分の中にある正しさなんて、出来合いの紙飛行機の飛距離ぐらいしか無いと思っている。これは悲観的な意味では決して無くて、紙飛行機

の飛距離しかないからこそ、その飛距離を伸ばすためにはどうすればいいか、美しい無限軌道を描くにはどうすればいいのか、皆で考えて

いくことに価値があるわけで、例えもし、一番飛距離が出せる飛行機に自分の紙飛行機が選ばれなくとも、それを笑って受け入れられるような、

そんな過程を辿れればと思う。この世の中には、昔と考えはさして変化は無いけれど、絶望しかないと思っている。でもね、俺はこう思うことに

した。希望があることを演出する必要がある、と。例え今、絶望しかなくとも、将来世代もそうであるとは限らない。何のための新世紀だ?俺は

確信している、前世紀の悲しみはこの世紀で全て清算できると。そして、新しい希望を必ず描けると。うちの教官が言っていたけれど、昔のよう

に前だけ見ていればいい時代ではなく、前と後、右と左、上と下、全方向に気を配って生きていかなければならないらしい。厄介な時代だ。でも、

だからこそ、それだけで生き抜く価値はある時代だと、俺は思うのだ。


2003/06/03

 昨日の日記を書いた後、気分が晴れないので外へ散歩に出かけた。精神年齢鑑定で平均50〜60歳を叩き出すだけあって、この歳にして散歩

が気分転換になるのだ(笑)。辺りを徘徊散歩していると、たまに見かける黒猫に出会ったので、30分位の間、自分の気持ちを猫に向けて淡々と

語ってみた。ハタから見れば、危ない人だったのかもしれないが、俺にとっては重要な話し合いなのだ、うん。おかげで気持ちの整理がついて

スッキリしたので、良しとしてください。いっそ、あの黒猫をホーリーナイトとでも名付けちまおうかな。


2003/06/02

 今日はとある事情があって、何かモノを書く気にはなれない。すまない。


2003/06/01

 で、昨日の話でちょっと話し忘れたことがあるんだけど、その牛角に行くまでの道程で3人で誕生日星占いというのをやってみた。Jinさんは

「浪漫への飽くなき追求」、俺は「伝統を重んじる常識」だった。どうなんだろう?当たってるんだろうか…と思ったアナタ!次の話を聞けば、

納得できるはず。肝心のウメ氏の誕生日星は「奔走するリーダー」でした。さぁ、納得してくれ(笑)。


2003/05/31

 とうとう5月も終わりだ。梅雨の季節がやってくる…つまり、講堂が臭う(=服が臭ってる人が増える)季節だ。お願いだからブルーダイヤという

洗剤で臭いの元の雑菌除去してください。あなたがよくても、俺が勉強に集中できません。

 さて、今日はバイトが終わった後、ウメ君とJinさんで牛角で夕食を共にした。ひさびさにウメ君が店でお酒を飲んでいるのを見たし、少し酔った

ところも久し振りに目にした。うん、アンタが元凶なんだよ、わかるだろ、後輩が増えていくのはよ(笑)。そろそろ認めてください。

 薬指にはめる指輪のサイズが11号。俺、指細すぎ。(註:色恋沙汰では一切御座いません。いや、マジで。)


2003/05/30

 ワーキングルームのバイトが確定した。思ったよりも日数に入れずに残念。今日はあんまり書くことが無い、というよりもうたた寝をした直後

なので頭が働かない。あーそうそう、久し振りに釜茹でパスタ「五右衛門」で夕食を取った。やはりジョリパよりも少しばかり美味しい。少し値が

張るだけあるなぁと思った。まぁ、今日はこんな感じ。


2003/05/29

 うわ!ユベントス負けた。チャンピオンズリーグ決勝戦の講評。「ゲームとしてはダメだったがドラマとしては成り立った」。ゲームとしては面白く

ないイタリアサッカーだったけど、ドラマ的には、明らかにゴールだったはずのシェフチェンコのシュート、線審の明らかな誤審。燃える試合になる

はずであった先制点は水泡に帰した。面白みのかける絵に描いたようなイタリアサッカー。スコアレスドロー。シルバーゴールも入らずにPK戦へ。

ユーベ、ミランともに好守。そしてPK5人目、ユーベ、キャプテン、デルピエロが決め、スコア2-2。ラストシューター、ミラン、シェフチェンコ。泥沼と

化した決勝戦のきっかけとなった幻のゴールがよぎる。もし、外せば、また泥沼のサドンデスPKへ。だが、やはり彼は、ミランを背負うストライカー

だった。ユーベキーパーブッフォンの予想とは逆のコース、揺れるゴールネット。轟く夢の劇場オールドトラッフォード。まさに、シェフチェンコに

始まり、シェフチェンコに終わる試合だった。ドラマとしては最高の試合だったと思う。さて、来年に向けてマンチェスターUでも応援しますか(笑)。


2003/05/28

 今月から、バイトに入る日数を減らしている(でも、来月からこの前書いたワーキングルームのバイトが入るので今月だけだけど)。というのも、

最近読みたくてしかたのない本を読む時間や、ゼミや経済学の勉強に割く時間が取りたいと思ったからだ。だから、いつもは水曜日にバイトを

やっているのだが、今月は暇な時が多い。先週はTシャツを買いに行ったしね。そして今日は8時間ほど本を読んだ。多分、この日記を書いた

後も本を読むだろう。今日読んでいる本は「ミクロ経済学入門」と「法哲学」。「法哲学」に関しては、教官から借りた「共生の作法」という本を

読むための基礎知識をつけるために読んでいる。「共生の作法」という本は、Amazonの講評などを見ると「そもそも、正義とはあるのか」という

議論を行なっている本らしい。確かに、世の中を見れば正義ってありそうもないように思えたりする。小集団で閉塞した価値観を良しとしたり、

キレイゴトとか言って、自分の判断を正当化したり、自分の正義を社会の正義と勘違いしたり…とどのつまり、俺等が漠然と考えている正義

って何なのよ?と思うわけだ。俺はそんな議論に無駄に迷いこんでしまうので、この本でヒントをつかみたいなぁと思っている。が、しかし!

「法哲学」という本を読んでいる時点でまた異なった疑問が浮かんできたりするので読みたい本が減るばかりか、等比級数的に増えていっている。

参ったねぇ〜。嬉しい悩みではあるものの…ねぇ。あー、そうそう。それと、今日の深夜チャンピオンズリーグ決勝戦だよ。見逃さないように。


2003/05/27

 実はラジオをやっている。Jinさんのページで聞くことが出来るのだが、今回は第2回その2がアップされた。つくづくインターネットというものは

凄いと思う。どんなに距離が離れていても、まるでそこに居るかのように会話をすることも出来るし、一緒に居なくても、俺のように毎日更新して

いれば、明日には友達とその話題を共有することが出来る。この前、サッカー部がアイスホッケー部になりかけたという話を日記に書いたとき、

北海道に居るサッカー部の同級生からメールがきたときは本当にこのインターネットの凄さを思い知った時だった。2〜3年位前の日記に俺は

「アナログな考えを持つ俺はデジタル時代がきたらきっとクズなんだろう」と書いていたが、その時の自分に今の状況を教えてやりたい。この

デジタルの世界の根っこにはアナログの人間が必ず居ることを。そしてデジタルがアナログに近い状態になろうと努力していることを。抱える

不安は常に杞憂が殆どの昔の自分に今、色んな事を教えたいなぁ。


2003/05/26

 また、タイトルをちょっと変えた。一応前向きな意味で捉えてください。今日は興味深い社会構造論。相変わらず、別のことを考えていた(笑)。

「構造改革」という言葉がある。俺が言いたいのは、もう今の首相になんて期待してないよ、ということではない。この構造改革とは一体何の構造

を示しているのだろうか。政治、経済、法律、労働…色んな意味を内包しているとしよう。では、その構造が改革されたあと、一体どのような変化

が訪れるのだろうか。よく言われる議論としては、構造改革は目的のように語られるが、しかしながら、構造改革は手段であって、その達成すべき

目標が見えないし、それによって頓挫しているようなものだ、とある。まさにその通りだと思う。でも、もっと根本的に考えてみれば、俺たちはその

構造改革という言葉に何を託していたか、構造改革それ自体の評価よりもその何を託していたのかが重要な気がする。「今目の前に見える」

政治不和の状況や不景気の状況を賢者のように語る事は誰にでも出来る。しかし、重要なのは「今目の前に見える」前の段階に、俺たちは何を

考えていたか。俺たちの居る何らかの環境(構造といってもいいんじゃないだろうか)の影響を受けて、何かを託したに違いない。その何かを

探さなければ、構造改革どころか、現状というものは何も変わらない気がする。つまり、社会構造論と関係があるのは、構造という単語だけ

でしたとさ(笑)。


2003/05/25

 今日のバイトは平和だった。バイトが平和な時は概して興味のある言葉を片っ端から検索をかけるのが常となってしまった。難しい言葉から

流行の言葉まで色々と検索をしてみたが、余りに平和なので、殆どの内容を調べきってしまい、手持ち無沙汰になってしまったので、ちょっとした

閃きで「検索サイトで『検索』という言葉を検索」してみることにした。検索結果を出した瞬間、寂しくなった。


2003/05/24

 ピロウズにはまっているとこの前書いたが、そのピロウズの曲で思い出すだけで涙腺が緩む曲がある。その曲名は「Smile」というのだが、恐らく

殆どの人が聞いたことが無いはずだ(歌詞)。昔ほど、ネガティヴな文章を書いていないが、相変わらず、世の中に関しては苦痛を受けてばかり

なので、この「Smile」という曲の歌詞のテンションにひどく共鳴してしまうのだ(しかし、近頃思い始めたことだが「苦痛」を「苦痛だ」と言うのは当り

前であって、「苦痛」の中に希望を見出すのが俺のすべきことなのではないだろうか、なんて(笑))。とても後向きの歌詞だが表題は「Smile」

なのであって、そこに曲の本当の意味が見え隠れしている気がしてならない。とても変かもしれないが、色んな事を勉強するにつれて、明らかに

曲の読解力が上がってきていると思う。


2003/05/23

 どうやら、神奈川大学内でバイトをやりそうです。というのも、経済学部ワーキングルームというPC室があるらしいのだが、バイトが居ないので

開くことが出来ないらしい。Tシャツコンプリートを目指す大学院まで行こうと考えている俺は資金収集の為に立候補しました。これから、担当の

経済学部の先生にメールを打とうかと思っています。これで大学人へと一歩近づいてしまった(違う意味で)。それと、昨日、友達の要請により、

うちの清水教官とは別のゼミに顔を出してみた。蓋を開けてみれば、友達と俺の2人しか居らずものすごく奇妙な空間だったが、ゼミの話し合い

自体はとても面白かったので今度また行ってみようかと思う。一時期は本気で神奈川大学の事が嫌いだったが、知らぬ間に染まっている模様。

うん、どうでしょう、スケビッチさん(笑)?そして、相変わらず、アクセスカウンタの周り具合に不安を隠し切れない日々が続いている。誰だ!?

見ているのは…


2003/05/22

 近頃、ネットで自殺仲間を募って、集団自殺する事件が増えている。そんなにこの世の中は生きる価値が無いのか。俺は聞きたい。君が死ぬ

価値があるのか、と。人生は辛いことばかりなのは分かっている。どんなに自分が望んでも手に入らないものだってある。でも、それは生きる

価値が無いことには直結しない。君にしか手に入れられないものもあるし、君にしか気付けないものだってある。君にしか手に入れられないもの

によって救われる人間だってたくさん居るし、君にしか言えないジョークで多くの人を笑わせることが出来る。君でなくていいことだってたくさんある。

でも、君じゃなきゃいけないことのほうがよりたくさんあるんだ。俺は断言したって良い。君が居なくなれば、世の中の辛さを支える総人数が減る。

そうしたら、もっと皆が傷ついていくんだ。君だけを必要としている人だって居る。それは今は気付かないかもしれないけど、必ず居る。それを

証明するだけでも良い、まだ生きていてくれ。君が死ぬ価値は無い。手塚治虫の漫画にこうあった。「人間はあらゆるものとつながりを持って

いる…もしこの世にお前が居ないならば、何かが狂ってしまうだろう」


2003/05/21

 毎週水曜日は大学の講義を入れていないので休みだ。今日は、前々からの約束で大学の後輩だけど同級生のミヤと共に、小田原まで

Tシャツを買いに行った。そうそう、後輩の小川ちゃん(♀)もついてきて、50分にも及ぶ電車の旅をまったり満喫した、ということにしておく(笑)。

小田原に到着し、エムズ社長の宮澤さんと合流し、店の場所を教えてもらう(この時点でイニシャルMが三人。まさにエムズ)。実は、人生に

おいて普通の店で服を買うのが初めてだった。うちの兄弟は、体型が殆ど一緒なので、服に関してはシームレスに対応可能なのだ。さらに、

親戚にも同体型の人々が居り、服に関しては彼らのお古を今まで着用してきたし、自分で服を買うとしても、コンサートグッズや通販を使うこと

のほうが多かったのもあり、今に至る。そして、今回初めて店で買った感想。店員に乗せられるな(笑)。おかげで、Tシャツ1枚半袖シャツ1枚

で15000円吹っ飛ばすことになる。まぁ、かなり気に入ったデザインだし、珍しいもんなので後悔はない。その後、何を思ったか小田原城へ。

そう、何もかも京都が一番だと思っていたが関東には小田原城があるではないか。小田原最高!と思ったが、城門をくぐると、偽動物園が

広がっていた。俺の気持ち裏切られる。しかし、やはり小田原城、素晴らしく威厳のある建物だった。そんなこんなで、部屋の模様替えが

出来そうに無い。デジカメも壊れたのに修理出してないし。


2003/05/20

 つじあやのがフジロックに出るらしい。もう行くしかないだろう(笑)。つじあやのは最高だ。特に眼鏡とか。嘘です、ほんわか具合がかなりの

ストライクです。京都出身だし(あんまり関係ない)。そう、京都で思い出したが、自分の興味のある分野をGoogleで検索すると最後には京都大学

の研究グループにぶち当たってしまう。最近興味がある分野というのは、前にも書いたとおり「公共哲学」と呼ばれるものだ。先駆者としては、

アマルティア=センなどの経済学者が居る学問で、5/12の日記を見ていただければ分かるが、要するに、グローバル化していくこの世界で人類

全体が幸せに暮らしていくにはどうすればいいのか?ということなのだと思う。未だ、南北問題や南南問題は解決されず、超大国アメリカは自ら

の利益のみしか考えておらず、多くの国際条約を批准していないし、今回のイラク戦争に反対したフランスに制裁を加えようとすら画策している。

この世界の状況を指をくわえて見ているのは、俺にとって非常に苦痛なのだ。もっとお互いは衝突せずに分かり合えて、最大限の互恵をもたらす

ことが出来るはずなのではないのか。文字通り「公共」の世界でお互いみんなの利益と幸福を最大化出来るはずではないのか。人間は永遠に

愚かなのかもしれないが、愚かさを自覚していないわけではない。それゆえ、賢くなろうとしてきた。その賢くなるという可能性に掛けたい。だから

俺は公共哲学に惹かれるのかもしれない。公共哲学自体、確立された分野ではないので、法学、経済学、倫理学、哲学などあらゆる社会科学

系の勉強をしなければならないらしい。大変だが、それだけ価値のもつ分野だと、俺は思う。そんなことより、部屋の模様替えがしたい(笑)。


2003/05/19

 SLAMDUNKの作者、井上雄彦がトップランナーというNHKの番組でファンの質問に答えていた。「魅力的なキャラクターを書くコツは」という質問

に井上雄彦はこう答えていた。「まずは弱点を作ること。ヒーローや脇役をどうしても格好良くしたいから、パーフェクトな人間に作ってしまいがち

だけど、本当はそうじゃないと思う。漫画をより身近に楽しんでもらうためには、キャラクターだって人間らしくするべきだと思うし、弱点があった

ほうが絶対に魅力的なキャラクターになると思う。」昔の自分に教えてやりたいと思った。


2003/05/18

 「あの日」から専ら俺のテーマソングはthe pillows「アナザーモーニング」だ。この頃、the pillowsしか聞いていない。バンプオブチキンだって

ミスチルだってスピッツだって洋楽だって勿論大好きだ。でも、最近はthe pillows一色だ。俺にとって、バンプオブチキンが励ましであり、ミスチル

がドラマであり、スピッツが寓話であるように、the pillowsは人生そのものかもしれない。ここ1年、自分の価値観に本当に合致したモノに出会い

過ぎている気がする。坂口安吾にしろ、the pillowsにしろ(もっともthe pillowsは相当昔から知っているが)。自分に素直になったから気付いたのか

それとも、自分の価値観が定まってきたのか確かではないが、とにかくthe pillowsが今、一番はまっているバンドだろう。


2003/05/17

 相鉄線の希望が丘駅で、老人とスーツの若者が乗ってきた。最初は何も気にせず「法哲学」を読んでいたが、老人の声が余りにも明朗だった

ので彼の声に聞き入ってしまい、読書どころの話ではなかった。老人はスーツの若者に言っていた。「人間、現役なら何を失ってもすぐに取り

戻せる。」話の流れからして、株式で損をしたので証券会社との取引を止めるといったような会話だったのだが、その流れよりもともかくその言葉

が心に染み入った。人間が現役であるということはどういう事か、しばらく考えた。希望を見据えて生きることか、はたまたどんな哀しい世界でも

意地でも笑って生き延びることか。ただひとつ確かなのは、老人はまだ人間現役だろうと言うことだ。


2003/05/16

 今日は、教官と俺とその他ゼミ生で研究室でワインと焼酎を飲んだ。どうやら、懇親会で余ったワインを処理するのに困ったらしく、人手を

募ったらしい。それに意気揚揚と参加する俺を含めたゼミ生はやはりどうにかしてるのかも知れない、類は友を呼ぶ、か(笑)。それなりに、

ゼミの仲間とも打ち解けてきた。最初のゼミにはどうなることかと思ったが、何とかゼミの活動も軌道に乗りそうだ。いつも課題に出される

強烈に難しい問題を除けばの話だが。最近まで悩んでいたのが嘘のような毎日だ。出来るなら、このままの精神状態で行きたい。


2003/05/15

 自分の中にある漠然とした直観を疑い始めたのはいつの頃からだろうか。その頃から、空回りが始まった気がする。まぁ、今となっては再び

直観を信じて行動してみようと思っているから特にもう悩む必要も無いのだけれど。そうそう、今日は給料日だった。実は定期の有効期限が

昨日までで、また横浜まで定期を買いに行くので、無駄に電車賃をかけてしまった。予定では、定期を継続するお金はあったはずだった。しかし

ふらっと立ち寄ったCDショップでピロウズのCDが俺を呼んでいて、その声に応じて購入したら、定期を継続するためのお金が足りなくなって

しまったのよ。たった二日待てば、400円の電車賃を無駄にしなくて済んだのに何故買ってしまったのか。それは、一番最初に書いたとおり、

直観というか、自分の感覚に素直になった結果なのだ。今まで、直観を疑ったり、様子見をしたり、我慢したりして成功したためしがない。そう、

考えすぎて失敗するタイプなのかもしれない。考えすぎないのもいけないと思うが、そもそも直観(not直感)という言葉は、自分の中の知識と

情報と感覚がより良く混ざり合った視点のことをいうらしいので、俺が直観というときはそんな意味で捉えて欲しい。人間、直観には素直に。

「直感」は考えたほうがいいかもしれない。


2003/05/14

 自分の性格を形作った漫画を久し振りに見かけた。紆余曲折の心遍歴の一つの区切りとして、髪の毛を切りに行く途中の古本屋に並んで

いたのを見つけた。ある意味運命的だった。「百億の昼と千億の夜」という漫画なんだけど、小学生時代に読むにしては余りにも